真の賛美を神にささげる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル13:15 ですから、彼を通して、絶えず賛美のいけにえ、すなわち、御名 を言い表す唇の実を、神にささげようではありませんか。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 一番喜んでいる人の賛美の声が一番高いのではありません。常に神の御前で困難 を経過している人たちの賛美が、最高なのです。そしてこのような賛美が、最も 神に喜ばれ、最も神の祝福を受けるのです。神は、人が高い山に立って、顔をカ ナンに向け、約束の地を見る時に、神を賛美するだけでなく、人が「死の陰の谷 を歩む」(詩23:4)時にも詩を書くことができ、賛美することができることを、願 っておられます。これが真の賛美です。 このことは、神の御前での賛美の性質がどのようなものであるかを見せています。 賛美の性質は、一つのいけにえ、一つの犠牲です。言い換えれば、賛美とは、患 難や苦難の中から出てくるものです。いけにえとは何でしょうか? いけにえと はささげ物であり、そこには死と損失があります。何かを得た時に賛美するだけ であってはなりません。何かを得た時の賛美もやはり賛美ですが、これはささげ 物ではありません。ささげ物の原則は、損失に基づいています。ささげ物には、 損失という要素があります。神は、わたしたちが損失を受けている時にもなお賛 美できることを願われます。これが真のささげ物なのです。 わたしたちは神の御前で祈るだけでなく、神の御前で賛美する人となることを、 さらに一層学ぶべきです。朝早く起きた時に神を賛美し、何か事に出くわした時 に神を賛美し、集会の時に神を賛美し、一人でいる時に神を賛美することを、わ たしたちは学ぶべきです。もしあなたが日々、神を賛美することを学ばないので したら、ヘブル人への手紙第13章で言われているような賛美のいけにえを持つこ とは難しいでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第16編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。