主がわたしたちを赦されたように、他の人を赦す(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ18:27 すると、その奴隷の主人はあわれに思って、彼を釈放し、その負 債を免除した。(28節)ところが、その奴隷が出て行くと、自分に百デナリの負債 のある奴隷仲間の一人を見つけたので、彼を取り押さえ、のどを締めて、「借金 を返せ」と言った。(29節)その奴隷仲間はひれ伏して請い願い、「どうか待って くれ。必ず返すから」と言った。(30節)しかし彼は承知せず、行って借金を返す まで、獄に投げ込んだ。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 主がこのたとえを語って明らかにしていることは、他の人を赦さない人は、神か ら見て何と理屈に合わないかということです。もしあなたがあなたの兄弟を赦さ ないなら、あなたはこの奴隷と同じです。このたとえを読むとき、わたしたちは この人は本当に筋の通らない人だと感じます。主人は彼の一万タラントの負債を 赦したのに、彼は奴隷仲間の百デナリの負債を赦そうとせず、それどころか借金 を返すまでその人を獄に入れました。彼は何という「義」を説いているのでしょ うか? クリスチャンは、自分を取り扱うときは義に基づいているべきですが、 他の人を取り扱うときは恵みに基づいているべきです。あなたの兄弟はあなたに 対して負債があるかもしれません。彼があなたに貸しのあることは、主もご存じ です。しかし主は、主を信じている人が兄弟を赦すことができないなら、この人 は恵みをもって人を取り扱っていないということを、はっきりと示しています。 主は、主があなたを取り扱ったのと同じように、あなたが他の人を取り扱うこと を望んでおられます。主は、義にしたがってあなたに要求されるのではありませ ん。同じように、主は、あなたが義にしたがって他の人に要求することも願われ ません。主はあわれみにしたがってあなたの負債を赦されました。主は、あなた があわれみにしたがって他の人の負債を赦すことを願われます。主が用いられた はかりで、あなたも他の人を測ることを、主は願っておられます。 (月曜日につづく) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。