不当に苦しめられる時、神を享受し、表現する(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:19 だれかが不当に苦しめられても、神のことを覚えて悲しみを耐え 忍ぶなら、これは恵みです。(20節)あなたがたが罪を犯して打ちたたかれ、それ を耐え忍んだとしても、何の誉れがあるでしょうか? しかし、あなたがたが善 を行なって、苦しみを耐え忍ぶとしたら、これは神と共にある恵みです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) ここの恵みは、わたしたちの内側の神聖な命の動機付けとわたしたちの生活にお けるその表現のことを言っており、それはわたしたちの振る舞いにおいて人の目 にも神の目にも優美な好ましいものとなります(20節)。それは内面的にはわたし たちの再生の時に受けた神聖な命の動機付けであり、また外面的にはこの命の表 現です。それから、この動機付けと表現は、わたしたちの振る舞いにおいて、優 美な、好ましいものとなります。他の人たちがこれを観察する時、彼らは、これ はわたしたちの生活態度における恵みであると言うでしょう。毎日毎日わたした ちは他の人たちに、恵みがわたしたちと共にあるという印象を与えるべきです。 これは、彼らがわたしたちの日常生活の中に恵みを見ることができるべきである ことを意味します。 わたしたちは困難または困苦の中にいる聖徒たちの生活の中に、しばしば恵みを 見てきました。例えば、ある姉妹が病気になります。彼女は今にも死にそうに見 えるので、だれもが彼女を気遣います。しかしながら、彼女は病院のベッドに横 たわっている時、喜びに満ちています。その姉妹は他の人が耐えることのできな い苦難に耐えることができます。そして彼女は死ぬことを恐れていません。内面 的に彼女を動機付ける命は、病気のただ中にあってさえ外面的に表現されます。 これが恵みです。 わたしたちは、どのようにして恵みを持つか、すなわち、どのようにして恵みを 用いるかを学ぶ必要があります。わたしたちがこれをするなら、何かすばらしい、 卓越した、喜ばしいものがわたしたちの内側からわたしたちを動機付けるでしょ う。そのときわたしたちは物事に耐え、物事を差し控え、また他の人ができない 事をすることができるでしょう。自動的に、わたしたちの内側の動機付けの結果 として、わたしたちの上に、ある表現があるでしょう。この動機付けと表現は、 わたしたちによって経験され、またわたしたちによって生かし出された三一の神 です。他の人たちに対しては、これは何か甘い、優美な、好ましいもの、また感 謝するに値するものです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1987年版) メッセージ19から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。