恵み――わたしたちの生活において表現された神聖な命(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:19 だれかが不当に苦しめられても、神のことを覚えて悲しみを耐え 忍ぶなら、これは恵みです。(20節)あなたがたが罪を犯して打ちたたかれ、それ を耐え忍んだとしても、何の誉れがあるでしょうか? しかし、あなたがたが善 を行なって、苦しみを耐え忍ぶとしたら、これは神と共にある恵みです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) これらの節は、クリスチャンとしてのわたしたちの日常生活における振る舞いに ついて語っています。クリスチャン生活は振る舞いの問題です。仮に、わたした ちが内側に神聖な命を持っていなかったとします。これは確かに、家族生活を非 常に困難にすることでしょう。ここの要点は、もしわたしたちが神聖な命を持っ ていない者たちであるなら、わたしたちはどんなに愛し合っていたとしても、結 婚生活において諸問題に直面するであろうということです。わたしたちは少なく とも五つの主要な問題を持つでしょう。すなわち、気質、性質、習慣、背景、物 事の考え方です。夫と妻がどんなによく似ていても、気質、性質、習慣、背景、 考え方に関して、彼らの間に相違があるでしょう。夫は物事を自分の見方で見、 妻は彼女の見方で見るでしょう。同様に、妻は自分の習慣と性質を持ち、夫も自 分の習慣と性質を持つでしょう。 しかし仮に、夫と妻の両方とも、神聖な命を持ち、またこの命にしたがって生き るとします。気質、性質、習慣、背景、考え方にかかわらず、恵みが内面的に夫 と妻の両方を動機付けます。さらに、この恵みは彼らの生活の中で表現されます。 これが、ペテロが「これは恵みです」と言うときに意味するものです。ある信者 が苦難と迫害の状況の中でこのように生きているのを観察している人は、これは 恵みであると認識しなければならないでしょう。これはまた神へのわたしたちの 感謝に値するものでもあります。わたしたちが罪を犯して打ちたたかれるのを耐 え忍んだとしても、それは誉れにはなりません。しかし、わたしたちが善を行な って、苦しみを耐え忍ぶとしたら、これは神と共にある恵みです。そのような状 況は、わたしたちの生活がわたしたちの内側の、またわたしたちを通しての神の 恵みの働きを表現することを示します。ですから、この生活態度についてペテロ は、「これは神と共にある恵みです」と言います。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1986年版) メッセージ19から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。