兄弟の集まりを愛する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:17 すべての人を敬いなさい。兄弟の集まりを愛しなさい。神を畏 れなさい。王を尊びなさい(原文)。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 17節は言います、「すべての人を敬いなさい。兄弟の集まりを愛しなさい。神を 畏れなさい。王を尊びなさい」(原文)。なぜペテロは「兄弟たち(brothers)を 愛しなさい」と言わずに、「兄弟の集まり(brotherhood)を愛しなさい」と言う のでしょうか? ペテロは兄弟の集まりという言葉を用いることによって、わた したちは単に別々に、一人ずつ、または個人的に兄弟たち(信者たち)を愛すべ きではないことを示します。そうではなく、わたしたちは兄弟たちの総計を愛す べきです。これは、わたしたちが兄弟たちという宇宙的な家族を愛すべきである という意味です。 キリストにある信者たちとして、わたしたちは共同体であるだけではありません。 わたしたちは家族でもあります。家族は共同体よりもずっと親密です。わたした ちは一つの家族の中にいるので、互いに兄弟と呼び合うのです。もしわたしたち が同じ家族でなかったとしたら、どうしてわたしたちは互いに兄弟であり得るで しょうか? わたしたちの皮膚の色がどうであろうと、黒、白、黄、褐色、赤で あっても、わたしたちは神の家族の中の兄弟たちです。この世界的で宇宙的な家 族のゆえに、ハレルヤ! この家族は二千年近くもの間、存在してきました。17 節にある兄弟の集まりという言葉は、この家族を指すのです。 わたしたちは神の家族の中の兄弟たちを、兄弟であるという感覚で愛すべきです。 これが、兄弟の集まりを愛することです。しかしながら、今日ほとんどのクリス チャンは、兄弟たちを愛するに際し、自分たちが兄弟の集まりを愛しているとい う感覚を持っていません。これは、今日のクリスチャンが団体の生活という感覚 を持っていないことを示します。それにもかかわらず、教会は完全に団体的な事 柄です。わたしたちは兄弟たちをその総計において愛する必要があります。すな わち、わたしたちは団体的な意味において兄弟たちを愛する必要があります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1987年版) メッセージ19から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。