自由を、悪を行なう口実として用いない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:13 主のために、人のすべての制度に服従しなさい。それが主権者と しての王であろうと、(14節)悪を行なう者には報復し、善を行なう者には賞賛を 与えるために、王によって遣わされた長官であろうとそれに服従しなさい。 (15節)なぜなら、善を行なうことによって、愚かな人々の無知な口を封じること は、神のみこころであるからです。(16節)あなたがたは自由ですが、しかし自由 を、悪を行なう口実とすることなく、むしろ神の奴隷となりなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 13節の「制度」は、規則や規定を作ることを意味し、律法機関によって法律を制 定するのと非常によく似ています。文脈に従うと、「人のすべての制度」は「主 権者としての王」を含み、また「王によって遣わされた長官」をも含みます。こ こでペテロは信者たちに、主のため、すなわち主の表現と栄光化のために(12節)、 わたしたちは人のすべての制度に服従すべきであると告げています。15節でペテ ロはさらに進んで言います、「なぜなら、善を行なうことによって、愚かな人々 の無知な口を封じることは、神のみこころであるからです」。15節の愚かな人々 は、12節で述べられた悪人呼ばわりする人たちです。 16節でペテロは言います、「あなたがたは自由ですが、しかし自由を、悪を行な う口実とすることなく、むしろ神の奴隷となりなさい」。わたしたちは自由を、 悪を行なう口実として用いるべきではありません。わたしたちは次のように言う べきではありません、「わたしたちは自由ではありませんか。わたしたちは律法 の束縛の下にはいません。わたしたちは恵みの下にいます。これはわたしたちが 自由であるという意味です」。確かにわたしたちは自由です。しかしわたしたち は、わたしたちの自由を不注意な態度で振る舞う弁解として用いるべきではあり ません。反対に、わたしたちは自由を神の奴隷として用いるべきです。ここのペ テロの言葉は、書簡におけるパウロの言葉と似ています。わたしたちはモーセの 律法から自由にされていますが、依然としてキリストの律法の下にあります。キ リストの律法の下にある者として、わたしたちは神の奴隷であるべきです。一方 において、わたしたちは自由です。他方において、わたしたちは神の制御の下に ある神の奴隷です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1987年版) メッセージ19から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。