キリストは選ばれた方であり、尊い方である(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:6 なぜなら、聖書にこう書かれているからです。「見よ、わたしは シオンに、選ばれた尊い隅の石を据える。彼に信頼する者は、決して辱められる ことはない」。(7節)こういうわけで、信じるあなたがたには尊いものですが、 信じない者には、「家を建てる者たちが捨てた石、これが隅のかしらになった」 とあり。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 神が永遠の過去においてキリストを選ばれたことは、だれにも見られておらず、 天使たちにさえも見られていませんでした。神がキリストを選ばれた時、何も創 造されていませんでした。というのは、その選びは世の基が置かれる前になされ たからです。ただ神だけが、キリストが彼の選ばれた者であることを知っておら れました。しかし、この選びは、キリストの復活と昇天において明らかにされま した。キリストの昇天後しばらくして、ペテロは、キリストが神によって選ばれ たメシアであることをはっきりと認識しました。こういうわけで、ペテロは使徒 行伝第4章で、宗教の指導者たちに次のように言ったのです、「あなたがたみな と、イスラエルの民全体は知るがよい。あなたがたが十字架につけ、神が死人か らよみがえらせた、ナザレ人イエス・キリストの名の中で、この名の中でこの人 があなたがたの前に健やかになって立っていることを。これはあなたがた、家造 りたちによって軽んじられ、隅のかしら石となった石なのである。そして救いは 他の何にもない。なぜなら天下に、わたしたちが救われるべきほかの名は、人々 の間に与えられていないからである」(10-12節)。ほかの名には救いはありま せん。なぜなら、神はキリストを選ばれたからであり、またこの選びはキリスト の復活と昇天の中で明らかにされ、またそれらによって確認されたからです。 ペテロは他の使徒たちと共に、自分が復活されたキリストを見たことを証しでき ました。さらに、彼らはみな、彼の昇天を証ししました。これらの二つの行為、 すなわち復活と昇天は、ナザレのイエスが神の建造のための隅のかしら石として 神が選ばれた方であることを証明し、また確認しました。 そのような選ばれた方として、キリストは今や尊ばれています。キリストは栄光 の中におられるだけではありません。彼は神の右にもおられます。これは、彼が 誉れの地位にあることを意味します。キリストは今そのような栄誉ある地位にお られるので、彼は貴い方であり、高く尊重されるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1987年版) メッセージ16から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。