赦しにおける神の恵みを理解する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ18:23 こういうわけで、天の王国は、奴隷と清算しようとした王のよう なものである。(24節)王が清算し始めると、一万タラントの負債のある者が、王 の所に連れて来られた。(25節)しかし、彼は返済するすべがなかったので、主人 は彼に、自分も妻も子供たちも、持っているすべての物も売って、返済するよう に命じた。(26節)そこで、その奴隷はひれ伏し、拝して、『どうか待ってくださ い。必ず全部お返ししますから』と言った。(27節)すると、その奴隷の主人はあ われに思って、彼を釈放し、その負債を免除した。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― このしもべは神の御前で一万タラントの負債がありますが、これはとても大きな 金額です。彼自身にはそれを返す力がありません。わたしたちが神に対して持っ ている負債は、決して返すことのできないものであって、人に対する負債とは比 べようもないほどです。どの神の子も、神に対する自分の負債について正当に評 価してはじめて、兄弟に対する負債を大目に見て、赦すことができます。もしわ たしたちが神の御前で受けた恵みがどんなに大きいかを忘れてしまうなら、わた したちは他の人たちに対してあわれみのない者になってしまいます。わたしたち は、自分が神に対してどれほど多くの負債を負っているかを見てはじめて、他の 人たちが自分に対して負っている負債がどんなにわずかなものであるかを見るこ とができます。 人は何が恵みなのか、何が福音なのかあまりはっきりしません。人はよく神の御 前で、今日できないことは将来になったらできると思っています。今日、彼がで きないことは将来になってはじめてできると思います。ここでこのしもべは、す べてを売り尽くしてもなお返せないので、「どうか待ってください。必ず全部お 返ししますから」と言いました。彼は自分の心掛けは良いと思っていました。負 債を払わないのではなく、もっと時間をくれるよう主人に求めて、将来、全部返 そうとしているからです。しかし、実はこれは、恵みを認識していない人からや って来る考えです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。