乳また石としてのキリスト(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― (全2編のうちの第2編) 1ペテロ2:2 生まれたばかりの赤子のように、純粋な言葉の乳を切に慕い求め なさい。それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです。(3節)あ なたがたは、主の恵み深いことを味わったのですから。(4節)人には捨てられた が、神には選ばれた尊い生ける石である主に来て。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちは、乳また石としてのキリストをさらに多く経験する必要があります。 朝わたしたちは御言から乳としてキリストを飲むべきです。そうすれば日中、造 り変えの過程がわたしたちの内側で起こるはずです。夕方わたしたちは教会の集 会に来て、聖徒たちと交わるべきです。これは建造です。ここでわたしたちは、 朝キリストは乳であり、夕方彼は石になるのを見ます。日中、乳は石を産出する ためにわたしたちの内側で造り変えの働きをします。 キリストを乳として経験しない人たちは、分散したり、独立的であったりするの を好むかもしれません。長老たちは彼らを訪問し、集会に来るよう彼らを励ます かもしれません。しかしながら、これらの聖徒たちは集会に出席するのを望みま せん。そのような兄弟の一人がかつて言いました、「あの人たちが集会にいる限 り、わたしは出席したくありません。わたしは彼らの顔を見たくありません。彼 らがいるだけでわたしは集会に出たくないのです」。しかし、時がたってから、 主はこの事例においてある事をなさいました。この兄弟は、関係する人たちに対 する自分の態度を悔い改めました。それから彼は言葉の乳を飲みたいと願い始め ました。彼は乳を飲んだので、教会の集会に来ることを慕い求めました。ついに 彼は、建造のために聖徒たちと完全に和解させられました。 まず主はわたしたちを養うための乳です。言葉の乳の中の養いを通して、造り変 えが起こります。その後わたしたちは建造を持ちます。そしてそこでは、主ご自 身が石です。こういうわけで、第2章でまず乳があり、それから石があるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1987年版) メッセージ16から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。