神に告白する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ヨハネ1:8 もし、自分には罪がないと言うなら、それは自分を欺いているの であって、真理はわたしたちの中にありません。(9節)もし、わたしたちが自分 の罪を告白するなら、神は信実で義であられるので、わたしたちの罪を赦し、す べての不義からわたしたちを清めてくださいます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もしわたしたちが進んで主よって照らされようとするなら、主は多くの不義をわ たしたちに示すでしょう。ひとたび自分の間違いを知ったなら、わたしたちは間 違いを告白することを恐れてはなりません。クリスチャンになったばかりのころ は、誤りを犯すことは避けられません。最も悪いのは、自分の間違いを知りなが らそれに気づかず、誤りを認めることを拒否することです。誤りに気づかないの は、暗やみの中にいることです。罪は赦されますが、暗やみは赦されることがで きません。罪を告白すれば、主はわたしたちを赦してくださるでしょう。しかし、 暗やみは、わたしたちが罪の中にいることに気づかせません。ですから、わたし たちは神の赦しを享受することができません。 わたしたちが自分の罪を告白するなら、神は彼の言葉にしたがって、イエスの血 による贖いに基づいて、わたしたちを赦されます。なぜなら、神は彼の言葉にお いて信実でなければならず、イエスの血において義でなければならないからです。 そうでないと、神は不信実となり、不義となるでしょう。神の赦しには、わたし たちの告白が必要です。神との交わりを回復するためには、神のそのような赦し は条件付きであり、それはわたしたちの告白にかかっています。神との断たれた 交わりを回復するためには、神の赦しと清めの両方が必要です。それはわたした ちがよい良心、とがめのない良心をもって、妨げのない交わりの中で彼を享受す るためです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第36巻「中心的なメッセージ」(1998年版)の『キリスト はわたしたちの義である』メッセージ第3編と、回復訳新約聖書ヨハネの第一の 手紙1:9のフットノート2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。