神と人の両方に告白する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒24:16 このことで、わたし[パウロ]も神と人々に対して、とがめのない良心 を常に持とうと、自分自身を訓練しております。 1テモテ1:5 しかし、この命令の目標は、純粋な心と、正しい良心と、偽りのな い信仰とから出て来る愛です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは主を信じた後、必ず罪を告白する習慣と、負債を償う習慣を持つべ きです。もしだれかに対して罪を犯すなら、あるいはだれかに損害を与えるなら、 罪を告白する、あるいはそれを償うことを学ぶべきです。一方で、わたしたちは 神の御前で罪を告白しなければなりません。そして他方では、人に対しても罪を 告白したり、償ったりしなければなりません。もし神の御前で罪を告白せず、人 に対しても罪の告白も償いもしないとすれば、この人の良心は容易に神の御前で かたくなになってしまいます。良心がかたくなになってしまうと、根本的な困難 が生じます。それは、神の光がその人を照らすのが難しくなってしまうという困 難です。罪を告白し、負債を償うこの習慣が身についてこそ、神の御前で良心を 敏感に保つことができます。 わたしたちはしばしば人に対して罪を犯してしまうものですが、もし罪を犯して も何の感覚もないとすれば、これはその人の良心が病気であり、正常でない証拠 です。ですから、あなたが最後に人に対して罪を告白した時が、今からどれほど 前かを見さえすれば、あなたと神との間に問題があるかどうかがわかります。長 い時間がたっていれば、それは霊の中に光が不足している証拠です。その時間が 短く、つい最近、人に対して罪の告白をしているなら、それは良心の感覚がかな り鋭い証拠です。わたしたちが神の光の中で生きようとする時、感覚のある良心 が必要となります。感覚のある良心を保つためには、神の御前で継続して罪を罪 とする必要があります。そして神に対して罪を告白し、また人に対してはその罪 を告白し、あるいはその負債を償うのです。 どのような兄弟姉妹であれ、その犯した罪がただ神に対するものであって、人と は関係がない場合は、神に罪を告白すればよいのであって、人に罪を告白する必 要は決してありません。兄弟姉妹よ、この原則に注意してください。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。