告白の必要 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩 くなら、わたしたちは互いに交わりを持ち、御子イエスの血が、すべての罪から わたしたちを清めます。(9節)もし、わたしたちが自分の罪を告白するなら、神 は信実で義であられるので、わたしたちの罪を赦し、すべての不義からわたした ちを清めてくださいます。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 信者たちは光の子供たち、神の子供たちです(1ヨハネ3:1)。あなたは父なる 神の子供なのですから、罪に対しての認識を持つべきであり、罪に対して父なる 神のそのような態度を持つべきです。神の家の中で罪を告白することは、父が罪 に対して取っておられる態度を彼の子供たちが表すことです。父が罪を罪定めさ れるように、神の子供もまた罪を罪定めするのです。 もしわたしたちがそのように自分の罪を告白するなら、「神は信実で義であられ るので、わたしたちの罪を赦し、すべての不義からわたしたちを清めてください ます」。もし罪を犯したとしても、わたしたちが自分の罪を知り、わたしたちに この罪があることを告白するなら、神は必ずわたしたちの罪を赦し、すべての不 義からわたしたちを清めてくださるのです。なぜなら、「神は信実で」あられる ので、ご自身の言葉に対して、ご自身の約束に対して、信用を守らなければなり ませんし、約束を実行しなければならないからです。また神は「義であられる」 ので、神の御子の十字架上の贖いに対して、満足しなければなりませんし、無視 するわけにはいかないからです。神には約束があるので赦さなければなりません。 神には贖いがあるので赦さなければなりません。神は信実であり、義であられる ので、わたしたちの罪を赦し、わたしたちをすべての不義から清めなければなら ないのです。 わたしたちは、ヨハネの第一の手紙第1章にある、二回出てくる「すべて」(7, 9節) という言葉に注意する必要があります。「すべての罪」と「すべての不義」は、 完全に赦され、完全に清められるのです。これは主がなさったことです。主がす べてと言われるからには、すべてであり、絶対にそれを変えてはいけません。主 がすべての罪と言われるのですから、すべての罪であり、主を信じる前に犯した 罪だけではなく、また過去に犯したすべての罪だけでもありません。主はわたし たちのすべての罪を赦してくださったのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。