赤い雌牛の灰――キリストの永遠の贖い(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル10:10 そのみこころによって、イエス・キリストの体が一度限りささげ られたことを通して、わたしたちは聖別されたのです。(12節)しかし、この方は、 罪のために一つのいけにえをささげて、永遠に神の右に座り。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 民数記第19章において、雌牛の特別な点がここにあります。この一頭の赤い雌牛 を焼き、香柏の木とヒソプも焼き、緋の糸も焼き、その灰を集め、蓄えておきま す。以後もしイスラエル人が汚れたものに触れて、神の御前にきよくない者にな ったなら、身のきよい人が流れの水を用いて赤い雌牛の灰を調合し、このきよく ない者の身に注ぎかけて、彼の汚れを除き去らなければなりません。言い換えれ ば、この灰の用途は、汚れを除き去るためであり、将来においてきよくなくなっ た時に用いるため前もって準備しておく「予備」としてのものです。赤い雌牛が 焼かれるのは、過去の罪のためではなく、将来の罪のためなのです。 このことはわたしたちに、主イエスの贖いのみわざの別な一面を見せています。 主イエスのみわざのある部分は、赤い雌牛の灰と同様であり、すべての罪を贖う 効力が全部この中にあり、全世界の人のすべての罪がみなこの中にあり、血もま たこの中にあります。将来、いかなる時においても、もしあなたが汚れたとして も、きよくないものに触れたとしても、あなたは再び一頭の赤い雌牛をほふって 神にささげる必要はありません。すでにささげられたただ一頭の赤い雌牛の灰を 調合した水を、身に注ぎかければそれでいいのです。言い換えれば、主がわたし たちのために第二のみわざをなさる必要はないということです。主の贖いのみわ ざの中には、わたしたちの将来のすべての汚れ、すべての罪のために、すでに準 備があるのです。主の贖いにおいて、すべてがすでに完全に準備されました。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。