罪の結果(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ4:30 また、神の聖霊を悲しませてはいけません。この方の中で、あなた がたは贖いの日へと証印を押されたのです。 イザヤ59:1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞 こえないのではない。(2節)あなたがたの咎(とが)が、あなたがたと、あなたが たの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらない ようにしたのだ。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) もう一つすぐに生じる結果があります。すなわち、神との交わりが断たれるとい うことです。クリスチャンが神と交わることができるということは、最も栄光な 権利であり、また最大の祝福でもあります。しかし、クリスチャンが罪を犯すな ら、すぐに神との交わりを失ってしまいます。聖霊は彼の中で彼のために憂い、 彼の中の命は自分の罪について心地よくない感覚を与えます。彼の喜びは失われ、 神との交わりも失われてしまいます。以前は、彼は神の子供たちを見ると、とて も親しく感じたのですが、今は親しく感じられず、何か一枚の仕切りがあるよう に思えます。以前は、祈ることや聖書を読むことにとても味わいがありましたが、 今は味わいがなく、神に触れることができません。以前は集会がとても大切なも のと感じ、一回行かなければ、とても大きな損失を被ったように感じましたが、 今は集会も味わいが薄く、行かなくてもどうでもよいように思えます。神の子供 たちに出会うと、避けたいと思うだけで、親しく近づきたいとは思わず、すべて は全く変わってしまいます。 ですから、救われた後に罪を犯すことは、とても重大なことです! わたしたち は、わたしたちの行ないを絶対にいい加減にすることのないようにしなければな りません。罪がわたしたちの身の上で地位を得ることを絶対に許してはなりませ ん。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第21編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。