主の恵み深いことを味わう(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:2 生まれたばかりの赤子のように、純粋な言葉の乳を切に慕い求め なさい。それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです。(3節)あ なたがたは、主の恵み深いことを味わったのですから。 詩篇34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身 を避ける者は。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 3節でペテロは続けます、「あなたがたは、主の恵み深いことを味わったのです から」。主は味わうことのできる方ですし、彼の味わいは楽しく、また恵み深い です。もしわたしたちが彼を味わったなら、彼の言葉の中の養う乳を切に慕い求 めるでしょう。この節の中の「恵み深い」と訳されたギリシャ語は、喜ばしい、 親切をも意味します。 ペテロには、自分が宛てて書いていた人たちが再生されていることは、はっきり していました。しかし彼には、彼らが主を味わったことに確信がありませんでし た。こういう理由で彼は言います、「あなたがたは、主の恵み深いことを味わっ たのですから」。信者たちが生まれたばかりの赤子であることははっきりしてい ましたが、3節が示すように、彼らのうちの何人かは主が恵み深いことを味わっ ていなかったかもしれません。今日、無数の信者たちが真に再生されましたが、 非常に多くの人たちは主が恵み深いことを味わったことがありません。 主を味わうことは外面的な奇跡の中にはありません。むしろ、それは内面的な命 の養いの中にあります。どのような環境の中にいるか、あるいはどのような事情 があるかを問わず、わたしたちは主によって支えられます。わたしたちはパウロ と共に言うことができます、「わたしは、わたしを力づけてくださる方の中で、 いっさいの事柄を行なうことができるのです」(ピリピ4:13)。わたしたちは富と 貧しさの両方の試験に、喜ばしい事情と困難な事情の両方の試験に立ち向かうこ とができます。なぜなら、わたしたちは外側の状況に注意を払わず、内側の養い に注意を払うからです。この内側の養いは、真に主を味わうことです。これらの 節においてペテロは、もしわたしたちが主は恵み深いことを味わったなら、確か に御言葉の中の乳を切に慕い求めるであろうことを示しています。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1987年版) メッセージ16から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。