純粋な言葉の乳を切に慕い求める(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:1 こういうわけで、すべての悪意と、すべての悪巧みと偽善とねた みと、すべての悪口とを捨て去りなさい。(2節)生まれたばかりの赤子のように、 純粋な言葉の乳を切に慕い求めなさい。それによって、あなたがたが成長して救 いへと至るためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 純粋な乳は、偽りの目的のない、魂を養うこと以外の他のどんな目標もない乳で す。「言葉の」と訳されたギリシャ語は、「ロギコス」です。ローマ人への手紙 第12章1節において「理にかなった」と訳されたこの言葉は、名詞の「ロゴス」、 すなわち「言葉」から派生しています。ですから、「言葉の」であり、(体と対 照して)思いに、すなわち理性的な能力に関する意味を持ちます。ですから、理 性的な、論理的な、理にかなった、です。言葉の乳は、体のための乳ではなく、 魂、内なる存在のための乳です。それは神の言葉の中で伝達され、わたしたちの 理性的な思いの理解を通して、わたしたちの内なる人を養い、わたしたちの知的 な能力によって消化されます。 何がわたしたちの悪巧みを飲み尽くし、消し去ることができるでしょうか? 純 粋な言葉の乳の中に含まれる栄養分は、悪巧みに対する抗生物質です。神の御言 の中には、わたしたちの内なる存在のための乳である栄養分があります。わたし たちの肉体が乳で養われるように、わたしたちの内なる存在、わたしたちの魂は、 純粋な言葉の乳で養われる必要があります。この乳は、わたしたちの悪巧みを消 し去ることができる要素を含んでいます。ですから、言葉の乳は純粋な乳です。 第2章1節と2節においてペテロは、生まれたばかりの赤子のように、わたしたち はすべての悪巧みを捨て去ることを実行する必要があること、また純粋な言葉の 乳を願い求める必要があることを示します。悪意の邪悪な根を捨て去る目的は、 わたしたちが言葉の乳を切に慕い求め、願い求めるためです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(二)」(1987年版) メッセージ15から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。