真理は単なる教理ではなく、実際である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:22 あなたがたは真理に対する従順によって、自分の魂をきよめて、 偽りのない兄弟愛へと至ったのですから、純粋な心から互いに熱く愛し合いなさ い。 ヨハネ17:17 彼らを真理の中で聖別してください。あなたの言は真理です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 真理に対する従順によってわたしたちの魂をきよめるとはどういう意味であるか を理解するために、わたしたちはこの節の意味について明確でなければなりませ ん。ここの真理は聖別する真理であり、それは神の実際の言葉です(ヨハネ 17:17)。この節の中の真理は教理を意味するのではありません。真理は、神の 言葉の中に含まれ、またそれによって伝達される実際です。 例えば、ヨハネによる福音書第3章16節は、「神は……世の人を愛された」と言 います。これは神聖な言葉です。しかしながら、この言葉は、ヨハネによる福音 書第3章16節を読む多くの人たちにとってそうであるように、わたしたちに対し て単なる教理であるべきではありません。この節を単に教理的方法で読むことは、 天然的な理解を持つことです。もしヨハネによる福音書第3章16節の天然的な理 解以上のものを持とうとするのであれば、わたしたちはこの短い言葉に含まれて おり、またそれによって伝達される実際に触れる必要があります。「神は……世 の人を愛された」と読む時、わたしたちはこの愛を経験したことがあるかどうか、 自分自身に問う必要があります。わたしたちは次のように言うべきです、「神は 世の人を愛されました。ここの『世の人』はわたしを含むのだろうか? この言 葉は、神はわたしを愛されたという意味なのだろうか?」。このようにヨハネに よる福音書第3章16節を読む人はだれでも救われます。そのような人は次のよう に言うことでしょう、「おお、神よ、世の人がわたしを含むとは、何とあなたに 感謝したらよいことでしょう。あなたが世の人を愛されたことは、あなたがわた しを愛されたことを意味するからです」。これが、ヨハネによる福音書第3章16 節を真理として、実際として取ることであり、単に教理として取ることではあり ません。 テモテへの第一の手紙第3章15節は、教会は生ける神の家であると言います。こ の節は教理を含みますが、わたしたちにとってそれは単なる教理であるべきでは ありません。むしろ、教会は生ける神の家であることについてのパウロの言葉は、 真理、実際であるべきです。わたしたちは次のように問う必要があります、「わ たしの地方にある教会は生ける神の家であるだろうか?」。もしわたしたちがこ のようにその節を読むなら、わたしたちは実際、真理に触れるでしょう。真理は、 神の言葉の中に含まれた、またそれによってわたしたちに伝達される堅固な内容、 実際です。わたしたちは神の言葉から教理を受けるだけであってはなりません。 わたしたちは実際に触れるべきです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロへの第一の手紙(二)」(1987年 版)メッセージ14から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。