傷もしみもない小羊であるキリスト(2)

――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
1ペテロ1:18 あなたがたが知っているように、あなたがたが父祖から受け継
いだむなしい生活様式から贖われたのは、銀や金などの朽ちるものによるのでは
なく、(19節)傷もしみもない小羊の血のような、キリストの尊い血によるのです。
レビ4:3 もし油そそがれた祭司が、罪を犯して、民に罪過をもたらすなら、そ
の人は、自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、罪のためのいけにえと
して主にささげなければならない。(新改訳)

―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
(全2編のうちの第2編)
実際には、「傷もしみもない」という言葉は、神にささげるいけにえに関する旧
約聖書の用語です。言い換えるなら、この節が示していることは、イエス・キリ
ストがわたしたちの罪のためのささげ物と違犯のためのささげ物に対する実際の
いけにえであるということです。キリストは実際の過越の小羊です。

過越の時にいけにえにされる小羊は、傷もしみもないものでなければなりません
でした。小羊がいけにえとされ得る前に、それはまず、傷としみがないことを証
明するために検査されなければなりませんでした。これは、主イエスが十字架に
つけられる前に、数日間にわたってエルサレムで経験されたことです。毎日、彼
はパリサイ人、サドカイ人、律法学者、長老たち、祭司たちによって検査されま
した。彼らは彼の中に、ある種のとがを見いだそうと最善を尽くしました。しか
しながら、彼らの律法によれば、彼らは彼にとがを見いだすことができませんで
した。それで彼らは主イエスを、ローマの支配者たちに、すなわち、ピラトとヘ
ロデに引き渡しました。しかしながら、これらのローマの支配者たちはローマの
法律によれば、彼の中にどんなとがをも見いだすことができませんでした。こう
いうわけで、ピラトは宣言しました、「わたしは彼に何のとがも見いだせない」
(ヨハネ18:38)。こういうわけで、神聖な律法と世俗の法律の両方にしたがっ
て、神の小羊は検査され、混合物もしみもないことが実証されました。この唯一
の人にだけ、傷としみがないのです。

一方で、ペテロは旧約の予表に言及します。もう一方で、同時に彼は、キリスト
が真の過越の小羊であることを示します。彼はわたしたちの罪のためのささげ物
と違犯のためのささげ物、神の民の罪の償いのためにささげられた方です。傷も
しみもない小羊として、彼はわたしたちを贖うためにその尊い血を流されました。
わたしたちはみな、自分がキリストの尊い血によってわたしたちのむなしい生活
様式から贖われたことを知る必要があります。

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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版)
メッセージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま
す。