あなたがたのすべての生活様式において聖となる(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:14 従順な子供として、あなたがたが以前、無知であったころの情欲 に倣ってはいけません。(15節)あなたがたを召してくださった聖なる方にしたが い、あなたがた自身もすべての生活様式において聖となりなさい。(16節)という のは、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖となるべきである」と書かれて いるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 第1章15節によると、わたしたちは単に聖となり、また聖なる生活をするだけで はいけません。わたしたちは、わたしたちのすべての生活様式において聖となる べきです。他の人たちはわたしたちの生活の中にある様式を見ることができるべ きであり、そしてこの様式は聖であるべきです。これは、わたしたちが時には聖 であり、あるいはある事においては聖であるという意味ではありません。例えば、 朝、一つの事柄においてわたしたちが聖であり、その後、その日遅くなると、そ の事柄においてもはや聖ではないという事ではありません。そうではなく、わた したちは習慣的に聖なる生活をする必要があります。これが聖なる生活様式を構 成するものです。もしわたしたちが聖なる生活様式を持とうとするなら、わたし たちの構成において習慣的に聖である必要があります。これは、わたしたちがあ る種の人、すなわち、構成おいて聖である人となる必要があるという意味です。 わたしたちの意味する聖なる生活様式の一例証として、果物の木を使ってもよい でしょう。りんごの木はりんごの木の生活様式にしたがってりんごを産出します。 同様に、オレンジの木はその生活様式にしたがってオレンジを産出します。りん ごの木によるりんごの産出と、オレンジの木によるオレンジの産出は、偶然では ありません。反対に、それは全くそれぞれの木に特有な生活様式によります。 同じことが、わたしたちの生活様式において聖となるということにおいても言え ます。いわゆる「聖」を強調する幾人かのクリスチャンは、時には聖く行動する かもしれません。しかし、別の時、彼らは非常にこの世的、または肉的であるか もしれません。これは、彼らが聖なる生活様式を持っていないことを示します。 聖なる生活様式を持つことは、神の表現である生活を持つことです。それは神の 聖なる性質の表現である生活を持つことです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ12から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。