今日わたしたちのキリストの享受は覆われている ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:13 こういうわけで、あなたがたは思いの腰に帯を締め、冷静になっ て、イエス・キリストの出現の時に、あなたがたにもたらされる恵みの上に望み を完全に置きなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 13節の終わり近くでペテロは、イエス・キリストの出現について語ります。現在 わたしたちはおおいの下で、前味わいとしての主イエスを享受しています。しか し、おおいが取り去られる時が来つつあります。その時わたしたちは次のように 宣言することができるでしょう、「ハレルヤ。わたしはおおいの外で主イエスを 享受しています!」。今日わたしたちは恵みを享受しています。しかしながら、 わたしたちはおおいの下でこの恵みを享受しているのです。 わたしたちはおおいの下で主と共にいるので、他の人たちはわたしたちの行なっ ていることを理解することができないかもしれません。わたしたちはキリストを 享受していると言おうと試みるかもしれません。しかしながら、彼らは、これは 愚かなことであると言うかもしれません。わたしたちの享受は隠されており、同 じ経験にあずからない他の人たちはそれについて何も知ることができません。し かしある日、主イエスは出現されます。その時、他の人たちは、わたしたちが主 イエスを享受していたことを理解することができるでしょう。この出現は、三一 の神の完全な救いの完成としての、来たるべき恵みとなります。 もしわたしたちが主イエスを前味わいとして享受していないなら、彼がわたした ちの全き味わいとして出現されるという望みを持つことはないでしょう。わたし たちは前味わいを享受するとき、そのような望みを持ちます。わたしたちはわた したちの望みを、イエス・キリストの出現に当たってわたしたちにもたらされつ つある恵みの上に完全に置く必要があります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(1986年版) メッセージ11から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。