わたしたちは生ける望みをもって生かされる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの神また父。こ の方はその大いなるあわれみにより、イエス・キリストの死人の中からの復活を 通してわたしたちを再生し、生ける望みを持たせ。 エペソ2:5 わたしたちが違犯の中で死んでいた時、わたしたちをキリストと共 に生かし(あなたがたが救われたのは,恵みによるのです)。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 第1章3節でペテロは、わたしたちは生ける望みへと再生されたと告げます。今日 のわたしたちの寄留の時におけるこの望みは、将来のためです。それは客観的な 物事の望みではありません。それは命の望み、永遠の命の望みでさえあって、終 わりのない神聖な祝福のすべてを伴っています。ペテロは単に望みについて語る のではなく、生ける望みについて語っています。この生ける望みが何であるかを 説明するのは容易ではありません。経験からわたしたちは知っていますが、命を 与える霊はわたしたちの中に入って来て、わたしたちを生かしました。以前、わ たしたちは死んでいました。そしてわたしたちに関するあらゆる事、特に将来に 対するどのような期待もまた死んでいました。しかし、命を与える霊を通してわ たしたちが経験した生かされたことは、結果として、生ける望み、すなわち、わ たしたちに関するあらゆる事が生きたものとなる望みになります。 わたしたちがキリストの血の注ぎを受けた時、直ちに命を与える霊がわたしたち の中に入って来て、わたしたちを生かしました。わたしたちは「命」という言葉 を動詞として用いて、その霊はわたしたちを「命する」ために、わたしたちの中 に入って来られたと言ってもよいでしょう。以前、わたしたちは死んでおり、全 く望みがありませんでした。しかし、わたしたちは命を与える霊を通して「命さ れ」て、生ける望みを持ちます。今やわたしたちは、わたしたちの存在のあらゆ る部分が「命される」という望みを持っています。これが生ける望みです。生け る望みを持つことは、「命される」ことです。 父なる神の再生は、結果として、わたしたちの存在のあらゆる部分、またわたし たちに関するあらゆる事柄が「命され」、生かされるという望みになります。救 われていない人に関するあらゆる事柄は死んでいます。しかし、神によって、神 聖な命をもって再生された者には、あらゆるものが生かされ、それによって生き たものになるという望みがあります。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ3から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。