ユダヤ人の神とクリスチャンの神は同じであるか? ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの神また父。この 方はその大いなるあわれみにより、イエス・キリストの死人の中からの復活を通 してわたしたちを再生し、生ける望みを持たせ。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― この節でペテロは、単に神について語るだけでなく、わたしたちの主イエス・キ リストの神また父について語ります。不信のユダヤ人たちは神について知ってい ました。彼らの神は、宇宙を創造された方でした。 しかし、これらのユダヤ人たちは、彼らの神がまたわたしたちの主イエス・キリ ストの父でもあることを信じようとしませんでした。ここに重要な相違がありま す。もちろんユダヤ人はひとりの神を信じ、クリスチャンは別の神を信じると言 うのは真実ではありません。ここの決定的に重要な点は、ユダヤ人の間の神とク リスチャンの間の神に関する理解と認識との間に、非常に大きな相違があるとい うことです。ユダヤ人の理解によれば、神は宇宙の創造主ですが、彼はイエス・ キリストの神また父ではありません。しかしながらわたしたちの理解においては、 神は宇宙の創造主であり、またわたしたちの主イエス・キリストの神また父でも あります(ヨハネ20:17)。こういうわけで、ペテロは第1章3節で、「神」の前に 定冠詞を用いたのです。 第1章3節でペテロは、わたしたちの主イエス・キリストの神また父がその大いな るあわれみにより、わたしたちを再生して生ける望みを持たせてくださったと宣 言します。ここでわたしたちは、再びペテロが一つの形容詞を使っているのを見 ます。彼は単に神のあわれみについて語るのではなく、彼の大いなるあわれみに ついて語ります。パウロも神のあわれみに関して語りますが、それを記述するの に「大いなる」という形容詞は用いていません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ3から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。