成長する救い ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ペテロ2:2 生まれたばかりの赤子のように、純粋な言葉の乳を切に慕い求め なさい。それによって、あなたがたが成長して救いへと至るためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 一方において、わたしたち(信徒たち)は救われています。他方において、わたし たちは依然として成長して救いへと至る必要があります。これは、わたしたちが まだ到達していないさらに一つの救いがあることを意味します。言い換えるなら、 わたしたちはある種類の救いに欠けています。わたしたちはまだそれを持ってい ません。そして、わたしたちは成長してそれへと至る必要があります。わたした ちは成長し続けて全き救いへと達し、到達する必要があります。 わたしたちは救われました。しかし、依然として苦しんでいます。しかし、もし わたしたちがすでに救われているのなら、なぜわたしたちは苦しむのでしょうか?  他の人たちがわたしたちを苦しめるかもしれません。またわたしたちが自分自 身を苦しめさえするかもしれません。例えば、あなたは短気を起こした結果とし て苦しまないでしょうか? あなたは、自分が短気を起こした時、幸せでしょう か? ある人たちは、主が自分たちを短気から救ってくださるようにと祈るかも しれません。彼らは次のように言うかもしれません、「おお、主よ、わたしを短 気から救ってください。わたしは、短気を起こすことは罪深いことであることを 告白します。主よ、あなたはわたしの救い主です。あなたはわたしをこの罪から 解放することができます」。しかしながら、主はあなたを短気から救う代わりに、 あなたにさらに短気を起こさせるかもしれません。 一方において、クリスチャン生活は享受の生活です。しかし、わたしたちはみな 同意するでしょうが、他方においてそれは苦難の生活でもあります。あなたは一 クリスチャンとしてあなたの生活において苦難を経験しないでしょうか? とき どきわたしたちは、わたしたちクリスチャンは良い結婚生活と幸せな家庭生活を 持っていると証しします。そうです、これは真実です。そして、それはわたした ちの証しの一部分です。しかし、わたしたちはまた、ときどきわたしたちの家庭 生活は全くこのようではないことをも認めなければなりません。というのは、兄 弟とその妻は言い争いをするかもしれませんし、子供たちは非常に不幸であるか もしれないからです。これは、わたしたちに救い主が必要なこと、わたしたちが 成長して救いへと至る必要があることを示しています。主は、わたしたちが短気 を起こすことからわたしたちを救うのではありません。そうではなく、わたした ちが成長して救いへと至ることが、わたしたちを短気から救うのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ペテロの第一の手紙(一)」(1986年版) メッセージ2から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。