キリストの裁定する平安(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― エペソ2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を、彼の肉体の中で廃棄され たからです。それは、彼がご自身の中で、二つのもの[ユダヤ人とギリシャ人]を 一人の新しい人へと創造して、平和をつくるためであり。 コロサイ3:10 新しい人を着たのです……。(11節)その新しい人には、ギリシャ 人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開人、スクテヤ人、奴隷、自由人はあり得ませ ん。キリストがすべてであり、すべての中におられるのです。(14節)そして、こ れらすべての事の上に、愛を着せなさい。愛は完成のための結び合わせる帯です。 (15節)そして、キリストの平安に、あなたがたの心を裁定させなさい。このため にあなたがたも、一つからだの中に召されたのです。また感謝にあふれていなさ い。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 異なる文化的背景と国籍を持つ信徒たちは、一人の新しい人へと創造されました。 新しい人の一は、真の平和を生み出します。キリストと教会から離れては、異な る人種や国籍から成る人たちは真に一となることはできません。わたしたちは、 主の回復の中で一です。なぜなら、わたしたちはキリストの中に、また教会の中 にいるからです。わたしたちは新しい人の中にいます。そこにはギリシャ人、ユ ダヤ人、割礼も無割礼もありません。新しい人の中には異なる人種、階級、国籍 はありません。そうではなく、一があります。なぜなら、キリストがすべてであ り、すべての中におられるからです。この一がわたしたちの平和です。コロサイ 人への手紙第3章15節におけるキリストの平安は、新しい人の中の平和の一にほ かなりません。 わたしたちはコロサイ人への手紙の背景に関連して、キリストの平安の事柄を理 解する必要があります。文化のさまざまな面が教会生活の中へと入ってきました。 あるユダヤ人信徒たちは、安息日を守ることに賛成でした。彼らはまた、食事に 関する規定を主張しました。疑いもなく、ギリシャの背景を持つ信徒たちは、こ れらの事柄を評価しませんでした。しかしながら、彼らはそれに代わって、自分 たちの好む哲学を持ち込みました。確かに、ユダヤ人信徒たちはこれを受け入れ ませんでした。結果として、彼らの経験の中でキリストの平安を失うことがあり ました。キリストの平安が優勢となるのではなく、ギリシャ哲学の観念やユダヤ 教の慣例が信者たちの間で優勢となりました。こういうわけで、コロサイにおい て少なくとも二つの派がありました。哲学の派とユダヤ教の派です。ですから、 裁定者が必要でした。この裁定者は、教会の中のいかなる兄弟でもありませんで した。それは、まさにキリストの平安であり、新しい人、すなわち、からだの一 です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。