キリストの裁定する平安(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:13 もしだれかが、他の人に対して不満を抱くことがあっても、互 いに忍び合い、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったよう に、あなたがたも赦すべきです。(14節)そして、これらすべての事の上に、愛を 着せなさい。愛は完成のための結び合わせる帯です。(15節)そして、キリストの 平安に、あなたがたの心を裁定させなさい。このためにあなたがたも、一つから だの中に召されたのです。また感謝にあふれていなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) 裁定するというギリシャ語はまた、審判する、つかさどる、または、あらゆるこ との支配者また決定者として座に着く、とも訳すことができます。わたしたちの 心の中の、キリストの裁定する平安は、13節で述べられている不満を解決します。 15節の「このために」という言葉は、キリストの平安のことを言っています。わ たしたちはキリストの一つからだの中で、この平安に召されました。正当なから だの生活のために、わたしたちは彼のからだの肢体との関係において、わたした ちの心の中で、キリストの平安にあらゆる事を裁定させ、調整させ、決定させる 必要があります。わたしたちがキリストの平安に召されたということはまた、わ たしたちを動機づけて、この平安にわたしたちの心を裁定させるはずです。 この節でパウロはまた、わたしたちが感謝にあふれているようにと励ましていま す。わたしたちは、キリストの平安に心の中を裁定させるだけでなく、主に対し て感謝にあふれているべきでもあります。からだの生活の中で、わたしたちの心 は常に、肢体に対しては平安の状態にあり、主に対しては感謝にあふれているべ きです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。