一人のパースンと一つの道を持つ(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:20 もしあなたがたがキリストと共に死んで、この世の初歩的教えか ら離れたのなら、なぜこの世に生きているかのように、あなたがた自身を規定に 従わせるのですか? すなわち、(21節)手に取るな、味わうな、触れるな、 (22節)そのようなものはすべて、使えば朽ち果てるものであり、人の戒めと教え によるものです。(23節)そのようなものは、ひとりよがりの礼拝と、謙そんと、 体の苦行とによって、いかにも知恵があるかのような好評を得ますが、肉の放縦 を抑えるには何の価値もありません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちはキリストと十字架を持っているので、ひとりよがりの謙遜には場所 がありません。自分を訓練してへりくだろうとする必要はありません。わたしは 東洋でも西洋でも、最も高慢な人は一種の謙遜の実行を学んだ人であることを観 察してきました。わたしたちはそのような作法を学ぶ必要はありません。そうで はなく、ただ十字架という唯一の道を取るべきです。 毎晩ベッドに行くときに十字架を経過するのは健康な霊的訓練であると、わたし は証しすることができます。毎日の終わりに十字架を適用することによって、わ たしは夜とてもよく休息します。就寝時にわたしたちは十字架をあらゆる問題に、 あらゆる消極的で、天然的で、罪深い事に適用する必要があります。わたしたち は次のように祈ってもよいでしょう、「主よ、わたしはこれらすべての事柄に十 字架を経過させたいです。わたしは天然的で、罪深く、消極的で、この世的な要 素が対処されないままで眠りにつきたくありません。主よ、ベッドに行くとき、 わたしは十字架につけられた人でありたいです」。わたしたちは次から次へと十 字架を経過する者となる必要があります。わたしは十字架の交差路を日ごとに通 過するようにと、あなたがたに勧めます。 わたしたちは唯一のパースンとしてのキリストと、唯一の道としての十字架を持 っているので、禁欲主義を必要としません。さらに、わたしたちはある事柄に関 して決心する必要さえないのです。そのような実行は効果がありません。わたし たちが行なう必要があるのはただ、夜、十字架を経過して眠り、安眠し、朝、復 活の中で起き上がることです。主を賛美します。キリストの死の経験は禁欲主義 に相対します! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ26から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。