キリストをだまし取られないようにする ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:18 あなたがたをふさわしくないと言って裁く、わざとらしい謙そん や天使礼拝をする者に、あなたがたの賞をだまし取らせてはなりません。彼らは 自分の見たものにとどまり続け、思いを肉に付けることによっていたずらに思い 上がっていて。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 「意図的にだます」と訳されたギリシャ語は、翻訳するのが困難です。それはま た「あなたがたをふさわしくないと判断する」とも訳されます。それはだますよ うな方法で批判することを意味します。異端的教師たちは、聖徒たちは神を直接 礼拝するにはふさわしくないと判断しました。そして彼らに、天使たちの仲介を 経て神を礼拝しなければならないと告げました。これは、聖徒たちから彼らの賞 与、すなわちキリストをだまし取ることでした。わたしたちの唯一の仲保者であ るキリストの中で、わたしたちは神を直接礼拝することができます。 18節でパウロは、賞与をだまし取られることに関して、謙そんについて語ってい ます。天使礼拝の異端の教師たちは、神を直接礼拝するにふさわしくないと自分 白身を考えることによって謙そんを表すようにと、聖徒たちに教えました。彼ら はそのような謙そんと天使礼拝の要素と領域の中で、聖徒たちからキリストの中 の賞をだまし取りました。 グノーシス派のある教師たちは、人は神を直接礼拝するにはあまりに低すぎるの であると言いました。彼らは、一種の自己卑下の謙そん、すなわち、へりくだっ た人であることを示すとされた一種の白己軽視を主張しました。彼らは、そのよ うな謙そんを持っている人たちはあえて神を直接礼拝などしないものであると教 えました。仲保者なしに神を礼拝するほど大胆になることは、ごう慢のしるしで あるというのが、グノーシス派の教えでした。彼らは信者たちに、彼らが罪深い こと、肉的な情欲と邪悪な思考とを持った堕落した存在であることを、思い起こ させました。彼らはさらに進んで、へりくだる者は聖で汚れのない神を直接礼拝 しようとはしないと言いました。そのような謙そんの見せかけを通して、彼らは コロサイの信者たちをたぶらかし、天使礼拝へと誘惑したのです。この手段によ って、彼らはコロサイの聖徒たちからキリストの享受を奪い取りました。彼らは、 キリストを彼らの仲保者として直接享受することをしないで、天使たちへとそれ てしまいました。結果として、彼らはその賞与をだまし取られました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ25から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。-