すべての積極的な事物の実際であるキリスト(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:16 そういうわけで、食べることと飲むことについて、あるいは祭り や新月や安息日について、だれにもあなたがたを裁かせてはなりません。 (17節)これらは、来たるべき事柄の影であって、その本体はキリストにあります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちの日常生活の環境における多くの事柄も、キリストの影です。例えば、 わたしたちが食べる食べ物は影であって、真の食べ物ではありません。真の食べ 物はキリストです。キリストはまた真の飲み物です。わたしたちが着て、自分を 覆い、美しくし、温かく保つ衣服も、キリストの影です。キリストは真にわたし たちの裸を覆い、温かく保ち、美しさを分け与える方です。キリストはまたわた したちの真の住まい、真の安息です。わたしたちが住んでいる家は、わたしたち の住まいとしてのキリストの影です。わたしたちが夜に享受する安息も、わたし たちの安息としてのキリストの型です。すばらしい食事の後に享受する満足でさ え、真の満足ではなく、満足の実際であるキリストの影です。 16節における食べることと飲むことは、日ごとの満足と力づけを表徴し、安息日 は週ごとの完成と安息を表徴します。完成がないなら、わたしたちは安息を享受 することができません。安息は常に完成と満足から来ます。新月は、暗やみにお ける光を伴う月ごとの新しい開始を表徴します。ちょうど新月が旧約時代におい て新しい開始を標示したように、キリストは今日暗やみの中で光を伴う新しい開 始をわたしたちに与えます。祭りは年ごとの享受と喜びとを表徴します。一年に 三度、神の選びの民は年ごとの祭りのために集まってきました。それは主の御前 で共に享受する時、喜びの時でした。祭りは喜ばしいものでしたが、それらはキ リストの影にすぎませんでした。彼が真の食べ物、飲み物、完成、安息、新月、 祭りです。日ごとにわたしたちは彼を飲み、食べます。週ごとにわたしたちは彼 の中で完成と安息とを持ちます。月ごとにわたしたちは彼の中で新しい開始を経 験します。そして一年を通じて彼はわたしたちの喜びと享受です。日ごとに、週 ごとに、月ごとに、年ごとに、キリストはわたしたちにとってすべての積極的な 事物の実際です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ24から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。