すべての積極的な事物の実際であるキリスト(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:16 そういうわけで、食べることと飲むことについて、あるいは祭り や新月や安息日について、だれにもあなたがたを裁かせてはなりません。 (17節)これらは、来たるべき事柄の影であって、その本体はキリストにあります。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) このメッセージでは、いかにキリストがすべての影の本体であるかを考える必要 があります。16節で「食べることと飲むこと」と訳されたギリシャ語の言葉は、 「食べ物と飲み物」と訳してもよいでしょう。食べ物と飲み物は、満足と力づけ ることを表徴します。祭りは、年ごとのユダヤ人の祭りを意味し、それは喜びと 享受を表徴します。新月は、暗やみの中での光による新しい始まりを表徴します。 さらに、安息日は、完成と安息を表徴します。祭りは年ごとであり、新月は月ご とであり、安息日は週ごとであり、食べることと飲むことは日ごとです。 儀式的な律法のこれらすべての項目は、キリストにある霊的事柄の影であり、そ れらは来たるべき事柄です。17節の本体は、人の肉体のように、実質です。律法 の中の儀式は、福音における実際的な事物の影であり、人の体の影のようなもの です。キリストは福音の実際です。福音における良き事柄は、すべて彼に属しま す。コロサイ人への手紙はそのようなすべてを含むキリストを、神のエコノミー の焦点として明らかにしています。 わたしはクリスチャンになって長年たって、ようやく第2章16節と17節の正しい 理解を得ました。パウロの概念は、影が人の体の型であるように、儀式的な律法 のさまざまな面は、来たるべき事柄の影、キリストにある霊的事柄の影であると いうことです。祭り、新月、安息日、食べることと飲むことに関する規定は、す べて影でした。影の本体、確固とした実体は、キリストです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ24から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。