神の救いにおける三つの面(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:13 あなたがたは、違犯の中で、また肉の無割礼の中で死んでいまし たが、神はキリストと共に生かしてくださいました。そして神は、わたしたちの すべての違犯を赦し、(14節)わたしたちに敵対し、わたしたちに逆らっていた、 数々の規定から成っている手書きの書を消し去り、それを真ん中から取り除いて、 それを十字架に釘づけてしまわれたのです。(15節)神は支配たちや権威たちをは ぎ取り、彼らを公然とさらしものにして、そこにおいて彼らに勝ち誇られました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) 15節において、「はぎ取る」のギリシャ語は、第3章9節でのように「脱ぎ捨てる」 と訳すこともできます。この節で語られている支配たちや権威たちとは、天使の 支配たちや権威たちです。コロサイにおける天使礼拝という異端的な教えのゆえ に、ここの個所は邪悪な天使たち(angels)のことを言っています。律法は御使い たち(angels)を通して与えられました(使徒7:53.ガラテヤ3:19)。これに基づい て、コロサイにおける異端は、天使たちを神と人との仲保者として礼拝するよう (コロサイ2:18)、人々に教えました。ですから、使徒は、数々の規定から成る律 法が十字架に釘づけられ(14節)、そして指導的な悪い天使たちが神からはぎ取ら れたという事実を明らかにすることによって、この異端を対処しました。このこ とが、キリストを唯一の仲保者、すべての支配と権威のかしらとしました(10節)。 これは、天使礼拝の異端を殺します。 「さらしものにして」というギリシャ語は、公に恥をさらさせるという意味での 見せ物、陳列品を意味します。神は、邪悪な天使の支配たちや権威たちを、十字 架の上で公然と辱め、そこにおいて勝ち誇られました。「そこにおいて」と訳さ れたギリシャ語の言葉は十字架を指していますが、それらは彼においてとも訳す ことができ、それはキリストを指しています。 わたしたちが律法を守ることは神の意図ではなく、また彼はもちろんわたしたち に天使を礼拝してもらいたくはありません。神の願いは、違犯の中に死んでいる 人を生かすことです。わたしたちを生かすために、彼はご自身の命をわたしたち の中に入れなければなりません。彼の命がわたしたちの中に入って来る時、わた したちは活気づけられ、生かされます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)第23編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。