天使たちはしもべであって、礼拝されるべきではない(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:10 そしてあなたがたは、キリストにあって満たされているのです。 彼はすべての支配と権威のかしらです。(18節)あなたがたをふさわしくないと言 って裁く、わざとらしい謙そんや天使礼拝をする者に、あなたがたの賞をだまし 取らせてはなりません。彼らは自分の見たものにとどまり続け、思いを肉に付け ることによっていたずらに思い上がっていて。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 第2章10節でパウロは、キリストはすべての支配と権威のかしらであると言いま す。ここで語られている支配と権威とは、天使の権力、特になおも権力の地位を 占有している堕落した天使たちです。聖書の完全な啓示によれば、神は宇宙を創 造した後、それを天使長と他の指導的な天使たちの統制の下に置きました。この 天使長が神に反逆してサタンとなった時、宇宙を支配することで彼を助けた指導 的な天使たちの多くが、天上にいる邪悪な支配と権威になりました。これらはエ ペソ人への手紙第6章12節で、支配者たち、権威者たち、この暗やみの世の主権 者たち、天上にいる悪の霊の勢力として記述されています。 キリストはわたしたちの完全と完成ですから、わたしたちは崇拝の対象として他 の支配や権威を必要としません。なぜなら、彼はこれらすべてのもののかしらで あるからです。ですから、パウロは彼らに、キリストがすべての天使のかしらで あり、わたしたちは彼の中にいるので、わたしたちが天使を礼拝する必要はない と告げました。 コロサイ人が天使を礼拝していたのは、神はあまりに高すぎるので、低い人によ って直接的に礼拝されることはできないという異端的な教えの影響の下に落ち込 んだからです。この虚偽の教理によれば、わたしたちはへりくだって、わたした ちと神との仲保者としての天使を礼拝しなければなりません。このように天使を 礼拝する人たちは、自分はなおも神を礼拝しており、偶像を礼拝していないと主 張します。彼らは、わたしたちよりすぐれている天使の仲介を通して神を礼拝し ていると主張します。この異端は小アジアに普及しました。ですから、パウロは 負担を持って彼らの誤りを指摘しました。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第22編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。