良き地であるキリストの中を歩く ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:6 そういうわけで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入れ たのですから、……彼にあって歩きなさい。 ガラテヤ5:16 しかしわたしは言います。その霊によって歩きなさい。そうすれ ばあなたがたは、決して肉の欲を満たすことはありません。 ローマ8:4 それは律法の義の要求が、肉にしたがってではなく、霊にしたがっ て歩くわたしたちにおいて、満たされるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしは、主の子たちの大部分がまだエジプトにいることを痛感しています。 (そこにおいて、彼らはこの世の奴隷です)。彼らは過越の小羊としての主を経 験しただけです。他の人たちはエジプトを出て、荒野でさすらいながら、日ごと のマナとしてのキリストを享受しています。しかし、ごく少数の信者だけが、そ の中を歩む領域、範囲としてのキリストを経験しています。主がわたしたちの目 を開いて、キリストがわたしたちの良き地であること、またわたしたちが日ごと に彼の中を歩かなければならないことを、見せてくださいますように! ガラテヤ人への手紙第3章14節でパウロは言います、「それはアブラハムの祝福 が、キリスト・イエスの中で異邦人に及ぶためであり、わたしたちが信仰を通し て、約束されたその霊を受けるためなのです」。ここでパウロは、アブラハムの 祝福と約束されたその霊とに言及しています。この祝福は良き地のことを言って います。今日わたしたちに対するこの祝福の成就は、すべてを含む霊であるキリ ストです。ですからパウロの観念によれば、良き地であるキリストの中を歩くこ とは、すべてを含む霊の中を歩くことです。 コロサイ人への手紙第2章6節でパウロはわたしたちに、キリストにあって歩くよ うにと告げますが、ガラテヤ人への手紙第5章16節では、その霊によって歩くよ うにと命じています。さらに、ローマ人への手紙第8章4節で彼は、霊にしたがっ て歩くことについて語ります。これらの節は、今日わたしたちにとって良き地が、 わたしたちの霊に内住するすべてを含む霊であることを示しています。このすべ てを含む霊は、手順を経た三一の神としてのすべてを含むキリストです。三一の 神は手順を経た後、(人と成られ、十字架、復活、昇天を経過されました)、す べてを含む霊としてのすべてを含むキリストであって、わたしたちは経験するこ とができます。今日このすべてを含む霊は、わたしたちの霊に内住しており、わ たしたちの良き地です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第20編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。