キリストにあって歩く――彼を適用する(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:6 そういうわけで、あなたがたはキリスト、主なるイエスを受け入 れたのですから、(7節)……彼にあって歩きなさい。 ガラテヤ5:16 しかしわたしは言います。その霊によって歩きなさい。そうず ればあなたがたは、決して肉の欲を満たすことはありません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神の奥義としてのキリストを経験するもう一つの道は、「彼にあって歩」くこと です(2:7)。わたしたちはキリストを受け入れたのですから、彼にあって歩く べきです。歩くとは、生き、行動し、振る舞い、存在することです。わたしたち はキリストにあって歩き、生き、行動して、彼の豊富を享受すべきです。それは、 イスラエルの子たちが良き地の中で生活し、その豊富な産物すべてを享受したよ うにです。 わたしたちの経験においてキリストは、わたしたちがその中で生き、歩くべき良 き地であるべきです! これは、わたしたちにとって単なる教理であってはなり ません。わたしたちは次のように祈る必要があります、「主よ、わたしはあなた の中に住み、歩きたいのです。主よ、あなたがわたしの経験の中でわたしの良き 地であり、わたしの生活のあらゆる面があなたの中にあるようにと祈ります」。 いったんキリスト・イエスを受け入れたなら、わたしたちは再び彼を受け入れる 必要はありません。ところが、わたしたちは受け入れたものを適用しなければな りません。わたしたちはみな、日ごとに実際的な方法で生けるキリストを適用す ることを実行しなければなりません。普通の用語を使えば、わたしたちはキリス トを用いる必要があります。五十年以上の間、わたしはどのようにキリストを用 いるかを学んできました。わたしは、これは難しいと証しすることができます。 なぜなら、生まれつきわたしたちはキリストを用いることに慣れておらず、また わたしたちが受けた訓練は彼を用いるようにさせないからです。わたしたちは、 キリストを生きること、キリストを成長させること、キリストを生み出すことに ついて多くのメッセージを聞いてきました。それにもかかわらず、わたしたちは 日常生活の中で、キリストではなく自然に自己を用います。わたしたちは自己を 用いようと努める必要はありません。わたしたちは自動的に自然に自己を用いる のです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第19編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。