苦闘して、心を慰める(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:1 わたしはあなたがたとラオデキヤにいる人たちのために、また、 わたしの顔を肉体において見たことがないすべての人のために、どれほど大きな 苦闘をしているか、あなたがたに知ってもらいたいのです。(2節)それは、彼ら の心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理解力から来る全き確信のあら ゆる豊富へと至るため、すなわち、神の奥義なるキリストを知る全き知識へと至 るためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 教会生活の中に忍び込んださまざまな儀式、規定、哲学のゆえに、コロサイの聖 徒たちの心は傷つき、冷めてしまい、満たされていませんでした。そのような事 柄が入り込んで来る時はいつも、その結果は分裂と分派です。わたしたちは教会 の門を守って、そのような事が入り込んで損害をひき起こさないようにしなけれ ばなりません。コロサイに在る教会は、ユダヤ教の規定や儀式によって、また異 教の哲学、神秘主義、禁欲主義によって侵入されてしまいました。これらのもの は、聖徒たちに意見を持たせ、異議を唱えさせ、不満足にさせました。それらは また聖徒たちの心を傷つけ、冷やし、分裂させ、互いを分離させました。ですか ら、パウロは彼らの心が慰められ、愛の中で結び合わされるようにと苦闘したの です。 この節で慰められるとは、はぐくまれること、すなわち、愛をもって温められる ことを意味します。エペソ人への手紙第5章29節は、キリストは彼の教会を養い はぐくむと言っています。養うとは食物を与えることであり、はぐくむとは温め ることです。コロサイの聖徒たちは、何と主のはぐくみを必要としたことでしょ う! 彼らの心は慰められ、温められる必要がありました。 パウロは、心が愛の中で結び合わされることについて語っています。「愛の中で 結び合わされ」という言葉は、ある種の分離が起こっており、愛が失われていた ことを示します。忍び込んできたさまざまな儀式、規定、哲学が、この愛を失わ せたのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。