キリストの内側の活動にしたがって苦闘する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:28 わたしたちはこのキリストを告げ知らせ、知恵を尽くしてすべて の人を戒め、すべての人を教えています。それはわたしたちが、キリストの中で 完全に成長したすべての人を、ささげるためです。(29節)このために、わたしも また労苦し、わたしの内で力をもって活動している彼の活動にしたがって、苦闘 しているのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― そのようにささげる(すなわち、キリストの中で完全に成長したすべての人をさ さげる)ために、パウロは労苦し、苦闘し、戦い、格闘しました。しかしながら、 パウロの苦闘は、彼の内側のキリストの活動にしたがっていました。ハレルヤ、 内住するキリストはわたしたちの内側で活動しておられます! この活動は彼の 力づけることです。彼が内側からわたしたちを力づけられるとき、わたしたちは 彼の活動に協力して労苦する必要があります。 キリストの活動は、力の中で働きます。「力」のギリシャ語は、英語のダイナモ (発電機)の語源です。この力は、疑いもなく復活の命の力であり(ピリピ3:10)、 使徒とすべての信徒の内側で活動しています(エペソ1:19.3:7,20)。そのよう な内側で活動する命の力によって、キリストはわたしたちの内側で活動されます。 この力は、神の創造する力とは異なります。神の創造する力は、わたしたちの環 境の中の物質的な事柄の源ですが、神の復活の力は、わたしたちの存在の内側で 教会のために霊的な事柄を成就します。パウロはこの復活の力にしたがって労苦 し、苦闘し、格闘し、戦いました。彼はこの力の中の活動によって彼の務めを遂 行し、キリストの中で完全に成長したすべての聖徒をささげました。 ある人たちは、キリストの中で完全に成長した人をささげる道は祈ることである と考えるかもしれません。しかしながら、祈りについて迷信的な理解を持つこと もあり得ます。例えば、だれかが、食事はただ祈りによって備えることができる ので、買い物に行ったり、料理したりする必要はないと考えるとします。そのよ うな観念は迷信的です。キリストの中で完全に成長した人をささげることで、わ たしたちは創世記第2章で立てられた原則に従う必要があります。人は地を耕し、 神は雨を降らせます(5節)。一方で、わたしたちは地を耕さなければなりません。 もう一方で、神だけが雨を降らせることができます。わたしたちは神に信頼して、 雨を求めて彼を仰ぐとき、地を耕すというわたしたちの責任に忠信であるべきで す。これは、わたしたちが神によって定められた原則を満たさなければならない ことを意味します。この原則を、キリストの中で完全に成長したすべての人をさ さげる事柄に適用して、わたしたちはただ祈るだけでなく、キリストの活動にし たがって労苦すべきであることがわかります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)第14、17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。