異邦人の間にある栄光の豊富 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:26 その奥義は、各時代にわたって、また各世代にわたって隠されて きましたが、今や神の聖徒たちに明らかに示されています。(27節)神は彼らに、 異邦人の間にあるこの奥義の栄光の豊富がどんなものであるかを、知らせたいと 願われました。それはあなたがたの内にいますキリストであり、栄光の望みです。 エペソ3:8 すべての聖徒のうちで最も小さい者よりも小さいわたしに、この恵 みが与えられたのは、キリストの計り知れない豊富を、異邦人に福音として宣べ 伝えるためであり……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 諸国民の間のこの奥義の豊富は、異邦人信徒たちに対するキリストのすべての豊 富です(エペソ3:8)。パウロがコロサイ人に手紙を書いた当時、ユダヤ人は諸国 民である異邦人を豚とみなしていました。それにもかかわらずパウロは、神が諸 国民の間に、すなわち「豚」である異邦人の間に、この奥義の栄光の豊富を知ら せることを願われた、と言います。異邦人を記述するためにさまざまな用語が用 いられています。罪人たち、逆らう者たち、神の敵たち、不従順の子たち、激怒 の子たち、などです。わたしたちは救われる前、この範疇の中にいました。しか し、そのような人たちにさえ、神はこの奥義の栄光の豊富を知らせようと願われ たのです。 あなたは救われた後、栄光の中に入ったという感覚を持ちませんでしたか? わ たしたちの多くがこのような経験を持ちました。わたしたちは罪人たち、敵たち、 逆らう者たちでしたが、神の子たちとなりました。わたしたちはまた神の相続人、 キリストと共にあずかる者、キリストの肢体たちでさえあるのです。さらにまた 新約聖書は、わたしたちが祭司たち、王たちであることを啓示します。神の相続 人として、わたしたちは神ご自身を相続するだけでなく、万物を相続するでしょ う。わたしたちは神の子たち、神の相続人、キリストのパートナー、祭司たち、 王たちです。これは何という栄光でしょう! もしこの栄光を見るなら、たとえこれらの豊富を適切に言い表す言葉がないとし ても、わたしたちもまたその栄光の豊富を知るでしょう。これらの豊富は、神聖 な命、神聖な性質、油塗り、すべてを含む霊を含んでいます。その豊富の他の面 は、義、義認、聖、聖別、造り変え、栄光化、慰め、神聖な臨在です。すべての 豊富を列記することは不可能です。それらは数えることのできるものではありま せん。これらは、特別な栄光の豊富であり、その栄光はわたしたちのものです。 なぜなら、わたしたちは神の子たち、神の相続人、キリストのパートナー、祭司 と王であるからです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(二)」(2004 年版)メッセージ第14編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。