彼のからだの建造のためには苦難が必要である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:24 わたしは今、あなたがたのために受ける苦難を喜び、そしてキリ ストのからだなる教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを、わたしの 肉体において補い満たしています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストの苦しみは、二つの部類から成っています。一つは贖いを成就するため のものであり、それはキリストご自身によって完成されました。もう一つは、教 会を生み出し、建造するためのものであり、それは使徒たちと信徒たちによって 補い満たされる必要があります。神の執事職にあずかることを願うなら、わたし たちは苦しむことを覚悟しなければなりません。 すでに指摘したように、わたしたちは人を接待したり、人に接待されたりする時、 キリストの豊富を人の中に分与することによって、わたしたちの執事職を遂行す る必要があります。しかしながら、人を接待することは、ある種の苦難を伴うか もしれません。同じように、ある人の家庭で客となることも、苦しみの原因とな るかもしれません。わたしは多くの聖徒たちの家庭で客となりました。もてなす 人は、すばらしい方法でわたしを顧み、必要なあらゆる事を行なってわたしの必 要を満たしてくれました。それにもかかわらず、わたしが苦しんだのは、自分の 家にいなかったからです。接待がどれほど十分であったとしても、わたしはいつ も家に帰ることを喜びます。しかしながら、多くの人が、もてなす人でも、もて なされる人でも、もてなしにあずかることを通して受けた養い、啓発、力づけに ついて語ったことを、わたしは喜んで証しします。これは、キリストの豊富を神 の王なる家族の人たちの中に分与することによって神の執事職を遂行することは、 大きくても小さくても、あらゆる種類の苦難を受ける価値があることを示してい ます。続くメッセージで指摘しますが、わたしたちがあずかる苦難は、キリスト のからだの建造のためです。それらは贖いの成就とは何の関係もありません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)第11編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。