わたしたちを暗やみの権威から救い出した(1)

――――――――――――――聖書の節(回復訳)――――――――――――
コロサイ1:13 父はわたしたちを暗やみの権威から救い出して、彼の愛する御子
の王国に移してくださいました。
使徒26:18 彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立
ち返らせるのである。それは、わたしの中へと信じることによって、彼らが罪の
赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである。

―――――――――――――――務めの言葉―――――――――――――――
上記の節においてパウロは、暗やみ、光、権威、聖別された人たち、分、あるい
は嗣業について語っています。疑いもなく、コロサイ人へのパウロの言葉は、彼
の回心の時に主が彼に語られた言葉を反映しています。

何年も前、わたしは、暗やみの権威とは、とばく、盗み、淫行のような邪悪な事
柄だけを言っていると思っていました。その後わたしは、ここの暗やみの権威は、
これ以上に多くを含んでいることを認識しました。コロサイ人への手紙では、暗
やみの権威とは邪悪な事柄ではなく、宗教の儀式、異邦人の規定、グノーシス哲
学を言っているのです。第2章でパウロは、偶像崇拝、すなわち天使礼拝を、哲
学、神秘主義、グノーシス哲学、禁欲主義に結び付けました。禁欲主義とは、肉
の放縦を制御するために肉体を虐待する実行を意味します。このような実行は、
ヒンズー教、仏教、カトリックに見いだされます。後ほど見ますが、禁欲主義は
肉の放縦を抑えるには何の価値もありません(2:23)。宗教の規定、禁欲主義、哲
学は邪悪ではありません。ある儀式は、旧約の神の戒めに基づいてさえいます。
例えば、食べることに関する規定に基づいています。それにもかかわらず、パウ
ロが、御父はわたしたちを暗やみの権威から救い出してくださったと言う時、彼
はこれらの儀式、規定、哲学、禁欲的な実行が暗やみであると言っています。わ
たしたちはみな、とばく場は暗やみの権威の下にあると考えます。しかし、哲学
や倫理的な教えもこの権威の一部であると考える人は多くいません。ですから、
コロサイ人への手紙でパウロが使っているこの用語を理解することは極めて重要
です。

暗やみの権威はサタンの権威を示しています。神は光であり、サタンは暗やみで
す。暗やみは死と関係があります。暗やみのある所に、死もあります。この暗や
みは光に反し、光は命と関係があります。サタン、暗やみ、死は、神、光、命に
相対します。ペテロの第一の手紙第2章9節によれば、わたしたちは暗やみから驚
くべき光の中へ召されました。暗やみは死であるサタンですが、光は命である神
ご自身です。

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新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、
ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004
年版)第4編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。