あなたがたのために天に蓄えられている望み(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:3 わたしたちは、あなたがたのために常に祈り、わたしたちの主イ エス・キリストの父なる神に感謝しています。(4節)それは、キリスト・イエス にあるあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対して抱いているあなたがたの愛を 聞いたからです。(5節)それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望み から来るのであり、その望みについては、あなたがたは以前に、福音の真理の言 の中で聞いています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― もしわたしがコロサイ人への手紙の筆者であったなら、「天にある望みのゆえに」 と言ったでしょう。しかしながらパウロは、「あなたがたのために……蓄えられ ている」という言葉を挿入しました。わたしたちのために天に望みが蓄えられて いるという事柄は、実はとても主観的です。それはわたしたちの日常生活と大い に関係があります。文脈によれば、天に望みを蓄えることは、わたしたちが今日 どのように生活するかと大いに関係があるのです。わたしたちが聖徒たちを愛す れば愛するほど、ますますわたしたちのために天に望みが蓄えられます。しかし ながら、もし聖徒たちを愛さないなら、わたしたちのために蓄えられる望みはご くわずかしかないでしょう。 ある兄弟はすべての聖徒たちを、彼らの国籍や文化の背景が何であっても愛しま す。反対に、ある兄弟は、自分の味わいと好みにしたがって聖徒たちを愛します。 ある人は、キリストにある信仰を持つすべての人を愛しますが、ある人は、聖徒 たちのうちの選択した人だけを愛します。主イエスが来られる時、どちらの兄弟 がより大きな望みを持っているでしょうか? もちろん、すべての聖徒たちを愛 する人です。これは、キリストがわたしたちにとってどれほどの望みであるかは、 わたしたちが今日キリストを生きることにかかっていることを示しています。 わたしたちが今キリストを生きれば生きるほど、ますます多くの望みがわたした ちの栄光化のために天に蓄えられるでしょう。しかしながら、もし日ごとにキリ ストを生きることをしないなら、キリストは天のかなたにおられ、わたしたちの ために栄光として蓄えられることはないでしょう。この手紙でパウロは次のよう に言っているかのようでした、「愛するコロサイの人たちよ、もしあなたがたが ユダヤ人の儀式や異邦人の規定に従うなら、自分のために天に何も望みとして蓄 えないでしょう。あなたがたはキリストによって生きる必要があります。ある日、 わたしたちの命であるキリストは、栄光のうちに現れます。現在、あなたがたと キリストは神の中に隠されています。彼はあなたがたの内なる命です。しかし、 彼は栄光のうちに現れ、あなたがたは彼と共に現れるでしょう。しかしながら、 わたしはあなたがたに、今日キリストによって生きることの重要性について警告 しなければなりません」。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。