信心、愛、望み ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:3 わたしたちは、あなたがたのために常に祈り、わたしたちの主イ エス・キリストの父なる神に感謝しています。(4節)それは、キリスト・イエス にあるあなたがたの信心と、すべての聖徒に対して抱いているあなたがたの愛を 聞いたからです。(5節)それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望み から来るのであり、その望みについては、あなたがたは以前に、福音の真理の言 の中で聞いています。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 信心とは、キリストの中にあるものを実体化し、受け取ることです。愛とは、キ リストから受けたものを経験し、享受することです。望みとは、キリストにある 栄光化を期待し、待ち望むことです。すべての真のクリスチャンは、主イエスに ある信心と、すべての聖徒たち(信徒たち)に対する愛を持っています。この二つ のものは、わたしたちが真のクリスチャンであることを証明します。仮に、わた しがある人と接触し、自分は主イエスを信じる者であると告げるとします。もし 彼が愛の中で応答しないなら、彼自身は主にある真の信徒ではないかもしれませ ん。聖徒たちに対する愛は、常に主イエスにある信心と同行していなければなり ません。それらは分けることはできません。 わたしたちは初めてキリストを信じた時から、信徒たちがどの国籍であっても、 自然に彼らに対する愛を持つようになります。わたしの性質と背景によれば、わ たしは決して日本人を愛することができませんでした。わたしは若かった時、日 本が中国に与えた損害のゆえに、本当に彼らを憎みました。しかし、わたしは救 われて主の務めに入った後、満州で何人かの日本人の兄弟たちに招かれて訪問し ました。わたしはある日本人の信徒の家庭で持たれた小さな集まりに参加しまし た。その部屋に入ると直ちに、自然にそれらの兄弟たちに対する愛がわたしの内 側にわき上がりました。日本人に対するわたしの憎しみは消え去りました。それ らの兄弟たちは主イエスを信じており、わたしも主イエスを信じていました。で すから、わたしたちはキリストにある信徒仲間として、互いに愛し合うことがで きました。この愛は天然の愛ではなく、主イエスにあるわたしたちの信心から来 る愛です。わたしたちはすべての聖徒たちを愛さなければなりません。それは、 コロサイ人が、どの国籍でも、ユダヤ人でも異邦人でも、すべての聖徒たちを愛 したようにです。 わたしは日本からの兄弟たちと接する時、彼らは日本の兄弟であり、自分は中国 の兄弟であるという意識を持ちません。その反対に、わたしたちはみなキリスト にある聖なる兄弟であるという感覚を持ちます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。