御言葉が開かれてキリストを見る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ24:44 イエスは彼らに言われた、「わたしがあなたがたと一緒にいた時、 あなたがたに語ったわたしの言はこうである。すなわち、わたしについて、モー セの律法と預言者の書と詩篇とに書かれているすべての事は、成就されなければ ならない」。(45節)それから、イエスは聖書を理解させるように、彼らの思いを 開かれた。(46節)イエスは彼らに言われた、「こう書かれている、『キリストは 苦しみを受けて、三日目に死人の中から復活する』」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 人・救い主は、エマオに行く途中の弟子たちに聖書を開いたのと同じように、今 やその部屋に集まった人たちにも御言を開きました。彼はまた、彼らの思いを開 いて、聖書が理解できるようにしました(44-45節)。モーセの律法、預言者の書、 詩篇は、旧約聖書全体、すなわち、全聖書の三つの区分です(27節)。ここの救い 主の言葉は、旧約聖書全体が彼の啓示であること、また彼がその中心と内容であ ることを、開いて見せています。彼が弟子たちの思いを開いたという事実は、聖 書を理解するためには、わたしたちの思いは霊なる主によって、その照らしを通 して開かれる必要があることを示します(エペソ1:18)。 46節で、人・救い主は続けて弟子たちに言われました、「こう書かれている、 『キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中から復活する』」。ここで主は 次のように言っておられるようです、「わたしたちがガリラヤにいた時、わたし はあなたがたに、わたしが死んで、三日目に復活することを告げた。しかしあな たがたは、わたしが語っていることを理解しなかった。今わたしは、あなたがた に御言を開いている。またわたしはあなたがたの目も開いている」。 ペテロが造り変えられ始めたのは、この主の出現の時からであったと、わたしは 信じます。少なくても、彼は御言を理解し始めました。ですから、使徒行伝第1 章で、ペテロは百二十名の中から立ち上がって、正しい方法で聖書を解釈するこ とができたのです。使徒行伝第1章においてわたしたちは、ルカによる福音書第 22章において見られるような天然のペテロを見ません。そうではなく、わたした ちは別のペテロ、再生され、造り変えられたペテロを見ます。それは、使徒行伝 第1章におけるすべての弟子たちの状態でした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ55から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。