信徒たちは主と共に葬られた ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ガラテヤ2:20 わたしはキリストと共に十字架につけられました。生きているの はもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです。 ローマ6:4 こういうわけで、わたしたちは彼の死の中へとバプテスマされること を通して、彼と共に葬られたのです。それは、キリストが父の栄光を通して死人 の中から復活させられたように、わたしたちも命の新しさの中を歩くためです。 コロサイ2:12 あなたがたは、彼と共にバプテスマの中で葬られ、またその中で、 彼を死人の中から復活させた神の活動による信仰を通して、彼と共に復活させら れたのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主イエスが葬られた時、彼はすべてを含む方として葬られました。わたしたちは、 聖書の中の真理を知るなら、彼と共に葬られたことを認識するでしょう。わたし たちは主イエスと共に十字架につけられました。それから、わたしたちはまた彼 と共に葬られたのです。主イエスと共に十字架につけられ、また葬られた者たち として、わたしたちは終わらされました。わたしたちは完全な終わりへともたら されたのです。一人の人が葬られる時、それは彼の終わりです。埋葬は最終的な 終結です。わたしたちは堕落した者たちとして、すなわち、肉の中にあり、旧創 造に属する者たちとして、わたしたちは十字架につけられ、葬られました。わた したちは主と共に葬られ、また彼の葬りの中で終わらされました。彼の墓の中で すべての問題はなくなりました。なぜなら、罪の性質、罪の行為、肉、古い人、 サタン、この世、旧創造、もろもろの規定が対処されたからです。そのようなす べてを含む死を成し遂げられた後、主は平安のうちに、誉れある方法で葬られま した。 わたしたちは、自分がキリストと共に十字架につけられたことを認識する必要が あります。しかしながら、これに関してわたしたちは、依然として一つのもがき を持っているかもしれません。しかし、いったんわたしたちが、自分もキリスト と共に葬られたことを見るなら、もはや何のもがきもありません。葬りは、平安 の状態をもたらします。葬られている人たちは、もはやもがきません。キリスト と共に葬られたからには、わたしたちはただ安息の中にとどまっているべきです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ53から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。