十字架上で神の裁きを受ける(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ23:44 さて正午になると、暗やみが全地を覆って、午後三時に及び……。 イザヤ53:10 しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし 彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見 ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる(新改訳)。 1ペテロ3:18 キリストも、罪のために、ひとたび苦しまれました。それは、義 なる方が不義なる者たちに代わって苦しまれたのであり、彼があなたがたを神に もたらすためです。彼は肉においては死に渡されましたが、その霊においては生 かされたのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 44節に述べられた第六時は、わたしたちの時間の計算によれば、正午の十二時で す。マタイによる福音書第27章45節によれば、第六時から暗黒が全地を覆って、 第九時に及びました。すなわち正午の十二時から午後の三時までです。暗黒を地 に臨ませたのはだれでしょうか? もちろん、大祭司ピラトやローマの兵卒たち はこの事を行なうことができませんでした。正午に暗黒を臨ませることのできた 唯一の方は神でした。 この暗黒は、わたしたちの身代わりであり贖い主である主イエスを裁くために、 義なる神が入って来られたことの一つのしるしでした。彼は人類のための唯一の 宇宙的な身代わりでした。九時から正午まで、彼は一殉教者としてユダヤ人とロ ーマ人たちによって迫害されました。しかし、正午から三時まで、彼は一殉教者 としてではなく、罪人たちの身代わりとして死につつありました。神は彼をわた したちの贖い主として認めたので、彼を裁くために入って来られたのです。これ が意味することは、主が十字架上にあった後半の三時間は、わたしたちの贖いの 達成のために彼が神によって裁かれたということです。神が彼をわたしたちの罪 のために苦難を受ける身代わりと考えられたのは、この時間でした(イザヤ53:10)。 暗黒が全地を覆ったのは、わたしたちの単数形の罪と複数形の罪とすべての否定 的なものが対処されつつあったからです。神はわたしたちの罪のために、彼を捨 て去ることさえされました(マタイ27:46)。 実は、主の迫害者たちが主を殺したのではありませんでした。主が彼らの迫害の 下にあった間、主はまだ生きておられました。主が三時間この迫害を受けられた 後、神は主を死に渡すために入って来られました。その地を覆った暗黒は、神の 介入のしるしでした。ルカによる福音書は、暗黒が、単にエルサレムやシオンの 山だけでなく全地を覆ったことを、わたしたちに告げます。神は太陽の光を見え なくさせました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ52から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。