真の過越はヨベルである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ4:18 「主の霊がわたしの上にある。彼が貧しい人たちに福音を宣べ伝える ように、わたしに油を塗られたからである。彼はわたしを遣わして、捕らわれ人 たちには解放を、盲人たちには視力が回復されることを告げ知らせ、圧迫されて いる人たちを解放して去らせ、(19節)主の受け入れる年、ヨベルの年を告げ知ら せるのである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは、過越は旧約のヨベルであったと言ってよいでしょう。過越が設立 された時、圧迫されていたイスラエル人たちは、エジプトでの束縛から解放され、 パロの暴虐から解放されました。イスラエル人たちは、奴隷の身分の状態の中で 捕虜とされていました。消極面では、過越は彼らをその束縛から自由にしました。 積極面では、過越は彼らを祭りへともたらし、小羊を享受させました。その小羊 は、神の具体化であるキリストの象徴です。その日に、イスラエルの子たちは神 の享受へともたらされました。彼らは小羊と過越を享受しました。後に、荒野に おいて、彼らはマナを享受しました。彼らは良き地に入った後、その地の豊富を 享受しました。それは、キリストがすべてを含んでいることの予表です。今やわ たしたちは、過越がイスラエル人たちを束縛から自由にし、彼らを神の享受へと もたらしたことを見ることができます。しかしながら、彼らは結局この享受を失 いました。そして再び捕囚へと運び去られたのです。 ルカによる福音書第4章で、人・救い主は、ヨベルのさらに進んだ段階、すなわち、 新約のヨベルを宣言されました。新約のヨベルにも、象徴、あるいは、しるしが あります。この象徴は、主の食卓です。主の食卓はヨベルのしるしであり、それ はわたしたちを束縛から自由にし、わたしたちを三一の神の完全な享受へともた らします。主の食卓は、過越という旧約の祭りの置き換えであるだけでなく、そ の祭りの継続でもあります。 主の食卓の新約の祭りは、来るべき王国における祭りによって置き換えられ、継 続されます。王国における祭りは、第三段階における祭りです。この来たるべき 祭りは、主の食卓の置き換え、また継続であり、それはまた、ヨベルの象徴でも あります。その時、神の選ばれ贖われた民は、すべての占有、束縛、奴隷状態か ら自由にされ、王国時代における三一の神の享受へともたらされます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(四)」(1988年版)メッセ ージ49から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。