信仰を神の御言と混ぜ合わせる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント1:30 しかし、あなたがたがキリスト・イエスの中にあるのは、神に よるのです。このキリスト・イエスは、わたしたちに至る神からの知恵、すなわ ち、義と聖別と贖いとなられました。 ヘブル4:2 というのは、わたしたちにも、彼らと同じように、福音が宣べ伝え られているからです。ところが、その聞いた言は、彼らにとって益となりません でした。それが聞いた者たちの中で、信仰と混ぜ合わされなかったからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 今日、神の子供たちの間の最大の問題は、彼らが神の御言を信じることができな いということです。兄弟姉妹よ、神の御言は信頼するに足ることを覚えておいて ください。わたしたちは自分自身の経験には信頼しません。わたしたちは自分自 身の感覚を信じません。わたしたちは神の御言を信じます。神は言っておられま すが、主イエスが十字架上でわたしたちの義となられただけでなく、キリストが わたしたちの中で生きられることを通してわたしたちの聖別ともなられました。 ですから、わたしたちは言うことができますが、キリストはわたしたちの義であ るだけでなく、わたしたちの聖別でもあります。 わたしたちは、キリストがわたしたちの命であることを感じる必要はありません。 わたしたちは、キリストがわたしたちの聖別であることを感じる必要はありませ ん。わたしたちは、彼がわたしたちの命であり、彼がわたしたちの聖別であるこ とを信じるのです。神の御言は信頼するに足ります。神が、キリストはわたした ちの命であると言われる時、わたしたちも、キリストはわたしたちの命であると 言います。神が、キリストはわたしたちの聖別であると言われる時、わたしたち も、キリストはわたしたちの聖別であると言います。神が、キリストはわたした ちの勝利であると言われる時、わたしたちも、キリストはわたしたちの勝利であ ると言います。何であれ神が言われることを、わたしたちは信じます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1999年版)メッセージ第7編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。