神の王国は一人のパースンである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ17:20 さて、神の王国はいつ来るのかとパリサイ人から尋ねられたので、 イエスは答えて言われた、「神の王国は見える様では来ない。(21節)また人々が、 『見よ、ここだ!』、『あそこだ!』と言うものでもない。なぜなら、見よ、神 の王国は、あなたがたのただ中にあるからだ」。(22節)彼はまた、弟子たちに言 われた、「あなたがたが、人の子の日を一日でも見たいと切に望む日が来る。し かし、あなたがたはそれを見ることはない。(23節)人々はあなたがたに、『見よ、 あそこだ!』、『見よ、ここだ!』と言うだろう。行ってはならない。後を追い かけてはならない。(24節)いなずまが天の一つの端から天の他の端へとひらめく ように、人の子も彼の日に、そのようであるからだ」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― パリサイ人たちが神の王国の到来について主に尋ねた時、主は、神の王国は見え る様では来ないと答えられました。これは、神の王国が目に見えず、観察できる ものではないことを意味します。そうではなく、神の王国は目には見えません。 それは肉体の目で見ることのできないものです。 パリサイ人たちに対する主の答えの中に、神の王国が実は救い主ご自身であると いうことの一つの強力な示唆があります。主は彼らにこう言っておられるようで す、「あなたがたは神の王国を見ることはできない。しかし、たった今、それは あなたがたの間にある。神の王国は今ここにあるが、あなたがたはそれを見るた めの霊的知覚を持っていない。霊的な事柄を見るためには、神の王国を見るため には、あなたがたは霊の目を必要とする。実は、この王国は一人のすばらしいパ ースンである。あなたがたの肉体の目で、このパースンの物質的存在を見ること はできる。しかし、あなたがたは、彼の霊的実際を知覚するための霊的視力を持 っていない。このパースンの霊的実際は、実は神の王国である。だから、わたし は、神の王国は今ここであなたがたの間にあると言うのである。しかしながら、 あなたがたはこの霊的実際を知覚することができない」。 22節から24節は、神の王国が救い主ご自身であることを証明しています。この方 は、王国についてパリサイ人によって尋ねられた時、パリサイ人たちの間におら れました。救い主がおられる所はどこであれ、そこに神の王国があります。神の 王国は彼と共にあり、彼はそれを彼の弟子たちにもたらされるのです。彼は神の 王国の種であり、神の選びの民の中へとまかれ、発展して、神の支配する領域と なります。彼の復活以後、彼はご自身の信徒たちの内側におられます(ヨハネ 14:20)。ですから、神の王国は今日、教会の中にあるのです(ローマ14:17)。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ38から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。