牧者と失われた羊 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ15:4 あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいて、その一匹を失 ったなら、九十九匹を荒野に残しておき、失ったその一匹を見つけるまで捜しに 行かないだろうか? (5節)そして、それを見つけたなら、喜んでそれを肩にか つぎ、(6節)そして自分の家に帰ると、友人や隣人を呼び集めて、『わたしと一 緒に喜んでください。失われたわたしの羊が見つかりました』と言う。(7節)わ たしはあなたがたに言う。これと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔 い改める必要のない九十九人の義人にまさって、天に喜びがある。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 牧者が失われた羊を捜しに荒野に行くことは、御子がこの世に来られて人々と共 におられることを示しています(ヨハネ1:14)。ここにわたしたちは、救い主の救 う力と救う愛とを見ます。 牧者としての御子が失われた羊を捜しに来られた荒野とは何でしょうか? 荒野 はこの世を象徴します。神の目には、この世は、荒野、羊の見失われやすい荒れ すさんだ所です。御子は、失われた羊であるわたしたちを捜しにその荒野に来ら れました。 今やわたしたちは、牧者としての御子がわたしたちをどのように捜しに来られた かを問う必要があります。彼がわたしたちを捜し出される方法は、わたしたちの ために死なれることです。ヨハネによる福音書第10章11節で主イエスは、ご自身 が羊のためにその命を捨てる良い牧者であると言っておられます、「わたしは良 い牧者である。良い牧者は羊のために自分の命を捨てる」。牧者の働きは、わた したちのために死ぬことです。もし彼がわたしたちのために死なれなかったとし たら、彼はわたしたちを捜し出すことができなかったでしょう。彼がわたしたち を捜す方法は、わたしたちのために死なれることです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ35から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。