キリストを享受して褒賞を受ける(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント5:10 なぜなら、わたしたち(信徒たち)はみな、キリストの裁きの座 の前に現われなければならないからであり、それは善であれ悪であれ、めいめい が実際に行なった事にしたがって、体を通してなされた事柄に対して、報いを受 けるためです。 啓示録22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。わたしの報いはわたしと共にあり、 それぞれの働きにしたがって与える」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) この時代においてキリストを享受するためには何の条件もないことを、わたした ちは指摘しました。わたしたちが神の招きと申し出とを受け入れて彼を信じる限 り、わたしたちは今日キリストを享受することができます。それにもかかわらず、 わたしたちが王国の来たるべき時代における褒賞を受けるためには、彼を忠信に 享受する必要があります。そうでなければ、わたしたちは来たるべき時代でのキ リストの享受を失うでしょう。王国は、キリストを忠信に享受する者たちに対す る千年間の褒賞です。その褒賞はヨベルでもあります。今日のヨベルは実際です。 しかし、それはほんの前味わいにすぎず、全き味わいではありません。神はわた したちにそのような前味わいを提供されました。わたしたちはそれを大いに尊ぶ 必要があります。 新約によれば、今日の神の王国はわたしたちの享受としてのキリストです。この 享受はヨベルです。神の王国、すなわちキリストご自身は、わたしたちを罪、サ タン、この世、自己の束縛から解放してくださいました。神の王国は、神聖な嗣 業に対するわたしたちの権利、すなわち、キリストにおいて三一の神を享受する 権利をも回復しました。今日、神の救いにおいてわたしたちは、キリストを享受 する権利、ヨベルを享受する権利を持っています。今やわたしたちは、この享受 の中に忠信にとどまり続けなければなりません。わたしたちは、すべてを含む霊 としてのすべてを含むキリストである神の御子を、正しく、忠信に享受する必要 があります。このキリストを忠信に享受することは、わたしたちが来たるべき時 代に王国に入り、そしてそこでさらに全きヨベルを享受するよう、わたしたちを 資格付けるでしょう。そのさらに全きヨベルが、褒賞です。この褒賞を受けるに は、一つの条件を満たすことが必要です。その条件とは、わたしたちが今日、忠 信に継続的にキリストを享受することです。 わたしたちは日常生活においてキリストを享受し損なうかもしれません。もし失 敗したなら、単純に悔い改め、あなたの失敗を告白しなさい。そうすれば、イエ スの血はあなたを清めます。そうすれば、あなたはキリストの正常な享受に戻さ れるでしょう。わたしたちは失敗するたびに、何度も繰り返しこれを行なう必要 があるでしょう。あなたは夜、床につく時、その日の失敗を感じるかもしれませ ん。しかし、もしあなたがそれらを告白するなら、あなたはキリストの享受につ いて新しい開始を持つでしょう。毎日わたしたちは、キリストの忠信な享受の中 に自分自身を保ち続けることを実行すべきです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ32から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。