神の招きを拒まない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ14:16 イエスは彼に言われた、「ある人が盛大な晩餐を設けて、多くの人 を招いた。(17節)そして食事の時に奴隷を遣わして、招いておいた人たちに、 『おいでください。すっかり用意ができました』と言わせた。(18節)すると、彼 らは全員、いっせいに口実を設けて断り始めた。最初の者は彼に言った、『わた しは土地を買ったので、見に行かなければなりません。どうか、勘弁してくださ い』。(19節)もう一人は言った、『わたしは五対の牛を買いました。今それを調 べに行くところです。どうか、勘弁してください』。(20節)もう一人は言った、 『わたしは妻をめとりました。ですから、行くことができません』。(21節)その 奴隷は帰って来て、これらの事を主人に報告した。すると、その家の主人は怒っ て、奴隷に言った、『すぐに町の大通りや路地へ出て行って、貧しい人、体の不 自由な人、盲人、足の不自由な人をここに連れて来なさい』。(22節)その奴隷は 言った、『ご主人さま、仰せのとおりしましたが、まだ席があります』。(23節) 主人は奴隷に言った、『道や垣根に出て行って、人々を無理やりに連れて来て、 わたしの家をいっぱいにしなさい。(24節)わたしはあなたがたに言う。招かれて いた人たちのうち、わたしの晩餐を味わう者は、一人もいないであろう』」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 第14章15節から24節には、神の招きを受け入れることについての主の教えがあり ます。この盛大な晩餐は、神の全き救いのためのものです。ある人としての神は、 盛大な晩餐である神の全き救いを準備されました。そして最初の使徒たちを奴隷 として遣わし、ユダヤ人たちを招かせました。しかし彼らは、土地、家畜、妻の ような自分たちの富で占有されていたため、彼の招きを退けました。そこで、神 は使徒たちを遣わし、街頭の人たち、すなわち、貧しい人たち、体の不自由な人 たち、盲人たち、足の不自由な人たちを招かせました。彼らは貧しさと悲惨さの ゆえに、神の招きを受け入れました。しかし神の救いには、依然としてもっと多 くの人のための余地がありました。それで彼は奴隷たちをさらに遠く、道や垣根 のあたりの異邦人世界へと遣わし、異邦人を強いてでも連れてきて、ご自身の救 いの余地を満たさせるのです(使徒13:46-48、ローマ11:25)。 このたとえ話の中での主の意図は、神がパリサイ人たちをご自身の大晩餐会に招 かれたのに、彼らはみな口実を設けて断ったことを、彼らに知らせることでした。 彼らはみなそれぞれ神の招きを辞退したのです。それで神は、より低い人たち、 すなわち、貧しい人たち、体の不自由な人たち、盲人、足の不自由な人たちに行 かざるを得なくなったのです。その後も、神の救いにはまだ余地があったので、 神は奴隷たちを異邦人世界へと遣わし、さらに多くの人々を彼の宴席に集められ ました。こういうわけで、最終的には、最初に神によって招かれた人たち、すな わち、パリサイ人たち、聖書学者たち、律法学者たちは、神の王国へと入ること ができないでしょう。 このたとえは、救いに関する一つの卓越したたとえです。わたしたちは、救われ るためには何もする必要がありません。わたしたちはただ神の招きに応じればよ いのです。救われるためにわたしたちがする必要のあるすべては、来て、神がわ たしたちのために準備されたものを受け入れることです。わたしたちが神の招き に応じて、神がわたしたちのために準備してくださったものを受け入れさえすれ ば、わたしたちは救われます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ32から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。