死を通して解放されるその霊の火(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 啓示録4:5 御座からは、いなずまと声と雷鳴とが発している。そして七つのと もし火が、御座の前で燃えていた。この七つのともし火は、神の七つの霊である。 使徒2:2 すると突然、激しい風が吹いてきたように、天から音が聞こえ、彼ら が座っていた家中を満たした。(3節)そして、火のような舌が彼らに現れ……。 (4節)すると、彼らはみな聖霊で満たされ……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) ルカによる福音書第12章49節で主イエスは言われます、「わたしが来たのは、地 上に火を投じるためである。それがすでに燃え上がっていたならと、わたしはど んなに願っていることか!」。この「火」は、霊的命の衝撃力です。それは主の 解放された神聖な命から来ます。彼の命は隠されていたので、主はそれが解放さ れることを欲せられました。主は、その火が炎へと燃え上がることを欲せられま した。49節で主は言われます、「それがすでに燃え上がっていたならと、わたし はどんなに願っていることか!」。この節のこの部分は次のようにも訳せます、 「それがすでに燃え上がっていれば!」。これは、主の死の前に火は燃え上がっ ていなかったことを示します。わたしたちは、主の死の後にこの火が炎となった ことを使徒行伝の記録から知ります。 第12章50節で主は続けて言われます、「しかし、わたしには受けなければならな いバプテスマがある。それが成し遂げられるまで、わたしはどれほど圧迫される ことであろう!」。ここの「バプテスマ」という言葉は、マルコによる福音書第 10章38節のヤコブとヨハネに対する主の言葉を思い出させます、「わたしが飲む その杯を飲み、わたしが受けるそのバプテスマで、バプテスマを受けることがで きるか?」。杯もバプテスマも、主の死のことを言っています。その杯は、彼の 死が神の与えられた分け前であったことを象徴し、それは彼が神のために贖おう とする罪人のために飲もうとするものでした。バプテスマは、彼の死が神の定め られた道であったことを示し、それを彼は罪人たちのための神の贖いの達成のた めに通過されたのでした。 ルカによる福音書第12章50節で「圧迫される」と訳されたギリシャ語は、「拘束 されている」とも訳されます。主は彼の肉体の中に拘束されていました。その肉 体は、彼が肉体と成ることにおいてご自身の上に着たものでした。彼は肉体にお いて死に、バプテスマされる必要がありました。それによって、彼の制限されな い無限の神聖な存在と彼の神聖な命は、彼の肉体から解放されるのでした。彼の 神聖な命は、彼の肉体の死を通して解放された後、復活の中で彼の信徒たちの霊 的命の衝撃力となりました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・ルカの福音書(三)」(1987年版)メッセ ージ30から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。